発信者はワ・タ・シ

巷で最近、「カメラを止めるな!」という映画が流行っているらしい。

まあ僕が今滞在している山奥には、映画館なんてハイカラなものは存在しないため、お目にかかるのは少なくとも東京に帰ってからになりそうだけれど。

結構評判が良いので、是非とも観てみたいと思う。

 

ところでこの映画、「原作者は誰だ」みたいなことで揉めているらしい。

何が問題なのか、正直あまり知らない。

いや何となく分かるんだけど、関わる人間や、各々が主張している事柄が多すぎて、自分の中でイマイチはっきりしないのだ。

劇団時代の原作者(の一人)のnoteを読んでみたものの、内容が全く頭に入ってこなかった。

何だか伝えたいことがはっきりしないし、脱字が多い。

どうしても伝えたいことがあるのなら、それくらいチェックしてから公開すればいいのに、と単純に思う。

 

同劇団のメンバーが補足ツイートをしていたのを見たけれど、面倒臭いので誰かひとまとめにしてすっきりさせてよ、とすら思う。

脱字だらけのnoteと、140文字以内という制限が課せられたツイートの連投だけでは、伝わるものも伝わらない。

 

 

何でこんな面倒臭がるって。

それもそのはず、僕は物作りをする人間ではない。

絵も文章もかけないし、何か形になるものを作ったり、お話を考えたり出来ない。

音楽は好きだし、ギターを少しだけ練習したこともあったけれど、それでもやはり、僕は表現者ではないのだ。

つまり、著作権に対しての認識がかなり甘い人間なのだ、僕は。

世の中にいる、中途半端に関心を持つ人たち、大体こんなもんよね。多分。

 

 

昨夜もChromeのタブ機能を駆使して、この話題に関連する内容の記事を読み漁っていたものの、あまりの煩雑さに疲れてしまった。

諦め半分、Twitterのアプリを呼び出し、約ひと月ぶりにTwitterのアカウントを切り替えた。

大学時代の知人を何人かフォローしてあるアカウントを呼び出す。

そうしたら驚いた。

TLがあの「カメラを止めるな!」の話題で埋め尽くされている。

それも知らないアカウントがたくさん。

それらのツイートは全て、一つのアカウントのRTによって表示されたツイートだった。

RTしていたのは僕の、学部の先輩だ。

結婚パーティにお呼ばれしたり、新婚ほやほやの新居にビール片手にお邪魔して奥さんと三人でお酒を飲むくらいには、仲良くさせていただいている。

先輩も奥さんも僕のことを息子のように可愛がってくれる(ちょっとたまに恥ずかしい)。

その先輩はどうやら、劇団の関係者だったらしい。

 

なるほど。

そこで僕は思った。

「詳しいことは、気になったら先輩に聞けばいいや。」

そうして僕は、再びChromeを起動し、検索エンジンから大量に開いていた「カメラを止めるな!」関連のタブを全て消した。

 

まあそんなもんである。

これが別に、noteの文章が精巧に仕上がっていても結論は変わらなかっただろう。

基本的にインターネット上に上がっている情報なんて、興味を引くほんの少しのきっかけくらいにしかならないのだ。

しかも知らない人が書いた内容なんて、笑っちゃうほど面白かったり、内容が綺麗にこちらのツボを撃ち抜かない限り、もう判断する段階にすら来ないのだ。

そんなものを根を詰めて読むよりも、よっぽど信頼出来る知人に話を聞いてしまった方が、すっきりするだろう。

 

東京に帰ったらお酒を飲む約束もしているし、ちょうど良い。

初めての終わり

どんなアイドルにも、終わりは必ず訪れる。 

 

僕にとって、初めてのその日は、突然訪れた。

秋葉原ディアステージで行われた千影みみさんの2周年イベントの時のことだ。

その時もちょうど、「何で推しているのかわからない」時期に突入したままイベント当日を迎えていた。

しかし千影みみさんのジャックライブを見ていて、やはりそのライブは圧巻で、「ここにいてもいい」と言われているようだった。

この子を推し続けよう。

僕の目からは、自然と涙がこぼれ落ちていた。

しかし曲中、ふと気付く。

違う、これは。

これは、別れの挨拶だ。

涙がもう、止まらなかった。

 

今なら分かるんだけど、あれは完全に、卒業間際の、いわゆる、ファイナルモードのそれだった。

 

曲が終わり、ライブ中のMCの時間が始まる。

ああ、いやだ。

お願いだから、それを言わないでくれ。

しかし、願いも虚しく、彼女の口から、翌月卒業をすると、発表があった。

フロアに僕の嗚咽が響いていたのだけ、何となく覚えている。

そして始まる「Fly / BiS」

初めて聴く曲なのに、あのイントロは本当に最高だと思う。

泣き崩れて折れ曲がった僕の身体は、曲の力強さに押されてゆっくりと持ち上がった。

しかしサビでオタ芸を打とうにも、やはり涙は止まらず、どうしても打つことが出来なかった。

あんなに頑張って覚えたオタ芸も、MIXも、もう何の意味も持っていなかった。

続いて「僕の気になるあの娘の新曲は少し残念だった」が始まり、そして終わった。

ライブの終わりと共に、僕は完全に泣き崩れていた。

その後、ステージ上でツーショットチェキ会が始まると言うのに、僕はステージに座り込んで呆然としていた。

仲良しのオタクが、「ここにいちゃダメだ」と僕を外に連れ出してくれた。

僕はいつ拾ったのか分からない、自分のジャケットを握りしめたまま、店の前の、秋葉原の路上で泣き伏せていた。

 

その後僕は、ひと月ディアステージに通い、千影みみさんの卒業を、僕にとって初めての推しメンの卒業を体験した。

二日間に渡って行われた卒業ライブも、やはり最高だった。

 

 

印象的なエピソードがある。

それは、卒業後、オタクの友達と二人、中華屋でお酒を飲んでいた時の事だ。

 

「君さ、オタクやめるの?」

問いかける彼は、僕をディアステージに初めて連れていってくれた友達だった。

会う度色々なアイドルの話をし、時には彼の選んだライブに一緒に行き、、そして月に一度程度は朝までとことん飲む、そういった生活はとても楽しかった。

「いや、やめないよ。」

「そうか。」

彼は満足した様子も、安堵した様子も、もちろん怒る様子も特に無く、グラスを口に運んだ。

質問の真意は未だに分かっていないのだけれど、この時にようやく、僕はアイドルオタクになった気がする。

 

最初はただの好奇心だった。

自分の知らない世界を知ってみたい、そう思って僕はディアステージのあの重い扉を開けたし、フロアを少しずつ上に昇り、またライブの景色が変わることを期待してオタ芸などを覚えた。

それが一年経って、推しメンの卒業を体験した時に、自分の知っている世界がまだまだ狭いという事を学んだ。

だってほら、推しメンが卒業した僕は明日、どこの現場に行けばいいのか、今後何を見てみたいのか、全然分からない。

アイドルを自分で見てみたい。

今度は自分で、自分の好きな現場を選んでみたい。

そんな気持ちが奥の方で、ふつふつとしているのを何となく感じた。

 

正直今でも全然見れてないんだけれど、卒業はとても辛く悲しかったけれど、それでも、この時に卒業を体験出来て良かったのかなって、ちょっとだけ、思うんですよね。

このステージは…

僕の人生最初の推しメンの推し色は、紫色だった。

そして、僕が初めて推した地下アイドルの推し色も、浅葱を添えた紫色だった。

紫色には不思議な縁がある。

今の推しメンの推し色も紫色だし、そう言えばあの子が初めて出してきたカクテルの色も、紫色だった。

 

 

僕がオタクを始めて、友達に「最近でんぱ組.incが気になるんだけど…」と相談をした際に、僕は初現場の日程を決めたのだけれど、同時に決まったことがあった。

それが、秋葉原ディアステージへの訪問日だった。

2016年3月11日、予定帳を見てみるとそこには一言、「ビタスイ」とだけ書いてある。

赤色のマーカーは確か、デートの日程を入れるために使っていたはずだから、別れた元カノと行く予定だったのだろう。

その前に別れてしまったので、結局僕は、彼女と一緒にビタスイに行くのではなく、友達と一緒にディアステに行ったのだ。

 

 

当日、友達と秋葉原の駅前で合流し、店を前にしてまず驚いた。

入り口の扉の向こう側に、カーテンが降りている。

中の様子は当然全くわからず、「引き返すなら今だぞ。」とでも言われているようだ。

しかし友達の手前、引き返すのも格好がつかない。

何よりもその時は、怖いという感情よりも圧倒的に、好奇心の方が勝っていた。

中に入り、薄暗い空間では既にライブが始まっていた。

促されるまま入場料の千円を支払い、僕たちは一緒にライブを見た。

 

いや、厳密には一緒にではなかった。

僕はパーテーションで区切られた観客席(と言っても当然椅子などはない)の一番後ろの方にぽつんと置かれた丸テーブルの脇に、一人棒立ちになっていた。

友達は僕よりも二列ほど、前の方にいる。

そして奇妙な踊りを始めた。

見渡すと、その場の全員が同じように踊っている。

奇妙にくねくねと腕を動かしながら、時折奇声を発する集団に、とてつもない熱量を感じた。

そうか、これがオタ芸というものか。

僕は区画の一番後ろから、オタクと、その前で歌う演者を眺めていた。

15分ほどだろうか、ライブが終わった。

 

「はらくん」

僕はぼーっとしながらも、友達と合流した。

「どうする?二階もあるけど、行く?」

心なしか、普段は自信満々な友達が、珍しくこちらの様子を伺っているように見えた。

「もちろん、行く。」

呆然としつつ、ここでも当然のように好奇心の圧勝である。

進む以外の選択肢が、僕の中には用意されていなかった。

 

二階に入ると、そこにはカフェのような空間が広がっていた。

昔一度だけ、池袋のメイド喫茶に行ってみたことがあったので、フロアにある謎のカウンター席にも、抵抗はなかった。

僕たちは一緒に、フロアの真ん中にあるテーブル席に座った。

「伝票一緒で。」と、友達が言った。

 

案内を受け終わった僕たちに、一番最初に話しかけてくれたキャストを、僕は一生忘れることはないだろう。

それが、櫻井珠希さんだった。

何を話したのか、内容は全く覚えていない。

しかし、初めて「秋葉原」に踏み入った僕は、彼女と接した時に「ああ僕はここにいてもいいんだな」と感じたのを覚えている。

そして1時間が過ぎ、会計を終え、友達は僕にこう言った。

「三階もあるんだけど…。」

「行こう。」

この時の僕は、非常に楽しくなっていた。

食らわば皿まで。

最後まで、楽しみつくしてやろうではないか。

 

 

一緒に三階のテーブル席に座った僕たち。

案内の時に、友達は「伝票は別で」と言った。

三階の客席は、コの字型のカウンター席と、その後ろにテーブル席がいくつかある。

どうやら、バーを模して作られているようだ。

「はらくんさ、バーテンダーなんだし、オリジナルカクテルでも頼んでみたら?」

と、友達にオススメされた。

なるほど確かに僕はその頃バーテンダーで、しかも休みの日は都内のバーを巡りながら、色んな味や匂いを探求するくらいには、そこそこお酒が好きで、その一言は上手く胸をついた。

メニューを見てみると、特定の誰かに、オリジナルカクテルを作ってもらえるメニューがあるようだ。

面白い。

 

そう言えば余談なんだけれど、この時の僕は何故か、完全なる裸眼でディアステージを訪れていて、席についたまま周囲のキャストの顔を見ることがほとんど出来なかった。

そこで、うすらぼんやりとした視界の中で、何となく気になったショートカットの女の子を指差して

「オリジナルカクテルを、あの子に作ってもらいたいです。」と注文した。

何を隠そう、僕はショートカットが好きなのである。

 

少し待って、ご指名の女の子がシェーカーと、マドラーの刺さったグラスと、炭酸水を持って現れた。

それが千影みみさんだった。

目の前で激しく、そして過剰に振られたシェーカーから、紫色の液体がグラスに注がれた。

追いかけるように炭酸水が注がれる。

そしてマドラーで…いやどんだけ混ぜるんだ、せっかくの炭酸が抜けきってしまう。

笑顔で立っている女の子を目の前に、僕はそのカクテルを飲んだ。

鼻からスミレの香りが抜ける、甘い紫色のカクテル。

思わず口をついて出た。

「ヴァイオレットフィズだ。」

「何それ?」

女の子が聞いてくる。

「このカクテルの名前だよ。これさ、花言葉みたいに、カクテル言葉があるんだけど知ってる?」

「何?」

「『わたしを覚えていて』って言うんだよ。」

それを聞いた彼女は、ニコっと笑顔で、「そうなんだ、大人っぽく今度から使ってみたら、ファン増えるかな?」などとふざけていた気がする。

 

「僕が、何で伝票を別にしたかわかる?」

彼女がテーブルから去った後、友達に聞かれた。

「いやわからん。何で?」

「ポイントカードがあってさ。作るでしょ?」

あーなるほど。

「もちろん。」

こうして僕はこの日、千影みみさんが名前を書いてくれたポイントカードを手に入れたのであった。

 

 

それからの一年間は楽しかった。

色々なことがあった。

僕はその後、この店に足繁く通うことになったし、彼女が所属する「ディア☆」や、

「転生みみゆうか」のライブにもたくさん行った。

彼女や、グループを通じて友達もたくさん出来た。

あの頃の僕は、一言で表すとすれば、非常に殺気立っていた。

特定の誰かに対してと言う意味ではない、とにかく初めて体験する秋葉原、アイドル、推しメン、ライブ、全てについて行くのが必死だった。

その頃の僕を初めて見たオタクから、「絶対に関わりたくないと思った。」と言われるくらいには。

 

感情をそのまま歌に乗せて、ぶつけてくるようなライブをする子だった。

歌も上手いし、何よりも歌っている時の表情が好きだった。

初めて体験するオタクの熱量の、その内側に入りたい、もっと前で見たい、と結構頑張ってオタ芸やMIXを覚えた。

曲中に誤爆をする度に、彼女のライブに、周りのオタクに負けた気がして、死にそうになった。

今ほど「楽しむ」を第一に持ってくるような余裕は、僕にはなかった。

 

毎回毎回、良い思い出ばかりではなかった。

コンカフェに通っているくせに、接触に当時あまり興味がなかったし、何よりも彼女と話したいことが特に見つからなかった。

失礼な話ではあるが、僕は彼女の容姿について、特別可愛いと思うことも無かった。

 

日に日に人数の減っていくオタクたち。

秋葉原初心者の僕が彼女を推し続けるのは、少し大変だった。

「何で僕はこの子を推しているんだろうか。」と疑問に思うことも少なくなかった。

 

それでも、彼女のライブを見ると、そういったモヤモヤは少しずつ晴れていく。

僕は千影みみさんのライブが本当に好きだった。

 

 

既に長文になってしまったけれど、もう少しだけ

つづく。

台風

「何でキスしてくれないの?」

ある日僕は、路地裏で追い詰められていた。

目の前には怒ったフランス人の女の子がいる。

どうしようかと困惑していた。

とにかく僕は、キスをしたくなかったのである。

 

 

もちろんのこと、これは恋愛小説ではない。

欧米人には、会った時や別れ際にキスをする文化がある(ようだ)。

仕事の合間、職場の近かった僕らは、路地裏で一緒にタバコを吸うことが日課になっていた。

毎回、とりとめのない話をする。

本を書きたいのだとか、上司がわがままだとか、日本の文化は陰湿だとか、彼氏と喧嘩をしたとか、僕は主に聞き手に回っていたのだけれど、そんなことばかり話して、10分もしない内に「またね」と解散する。

その日もそんな風に、普通に別れるものだと思っていた。

ところが、違った。

 

「そう言えば、別れ際のキスを忘れてたわね。」と突然彼女が言い出した。

また冗談を…と思った僕は、「まあ、しなくていんじゃない。」と軽く返した。

その瞬間、彼女は激怒した。

「私と原はこんなにも仲が良いのに、キスをしないなんておかしい。」と主張し始めた。

「あ、いや、でもそれは…それだけは……。」

タジタジである。

 

 

 

僕にはどうしても克服できない、苦手なものが二つある。

女性と、怒っている人だ。

女性と会うときはいつも過度に緊張する。

緊張しすぎて前職で、受付嬢のお姉さんにランチに誘われた際に、「いや僕、昼ごはん食べない人なので…」と意味不明な断り方をしたことがあるくらいだ。

怒っている人を見ると、非常に不安定な気持ちになる。

怒りを向けられるのがそもそも苦手だし、怒っている人は大抵、言っていることが支離滅裂でどうすればいいのかわからない。

 

昔、一緒に働いていた男がこんなことを言っていた。

「怒っている女性は、台風みたいなもんだから。」

つまり、過ぎ去るのを待つしかない、と。

しかしこの時ばかりはそうも言ってられない。

 

何せ彼女は、僕の左腕を鷲掴みにし、目の奥が怒りで燃えていた。

「私の住んでいたフランスではこんなこと当たり前のことなのよ?」

知るか、ここは日本だ。

僕はとにかくキスをするのが嫌で嫌で、勘弁してくれとこのまま土下座してしまいそうな勢いだった。

 

押し問答を繰り返していると、彼女が突然僕の左腕を離した。

「仲良しなのに…。」

非常に悲しそうな顔をしている。

そう言えば、僕にはもう一つ苦手なものがある。

それは、悲しそうな顔をした人間だ。

見てしまうと、男女問わずその人のために何でもしたくなる。

 

「…………わかったよ。」

僕は観念して、彼女と真っ直ぐ向き合った。

一瞬躊躇し、何だかやり方もよくわからないまま、映画で見たのと同じように、僕は彼女の両頬に挨拶のキスをした。

これで合っているのか…と不安になったが、彼女は満足気に「バイバイ」と去っていった。

 

何だか日本人たる僕が、欧米文化に屈服したようで妙に悔しかった。

そして、非常に、ものすごく、どっと、疲れが込み上げてきて、僕はトボトボと仕事場に戻った。

金色の異端児

僕が最上もがさんを知ったのは、今から3年と少し前。

雑誌の表紙や、SNSでちらほらと画像を見て、何か強烈に、惹かれるものを感じた。

そしてそのまま、当時お世話になっていた美容師さんの元に行き、

最上もがさんにしてください」

と一言、告げた。

 

いつも優しく話を聞いてくれて、時にはお姉ちゃんみたいに叱咤してくれたこの美容師さんも、この時ばかりはうろたえていた。

「もっ…えっ、誰!?」

僕は当時使っていたXperiaZをズボンのポケットから引っ張り出し、お姉さんにもがさんの写真を見せた。

 

「あー…これは一日だとちょっと難しいね。」

「左様ですか…。」

「こんだけ抜くのは難しいから今日ちょっと抜いて、緑とか入れてみる?」

そんなわけで僕はこの日ブリーチを二回し、少しだけ緑を入れた。

 

「少しずつ色を抜いていこうね」と約束していたお姉さんは、いつの間にかその店を辞めてしまっていて、それから会うことはなかった。

ちなみに色を抜いた翌日から、後輩に「雑草みたい」と貶されながら120キロほど歩くことになるのだが、それはまた別のお話。

 

 

 

それから一年も経たないくらいのある夜に、僕は仕事を終え、店の奥にある硬いボックス席に寝転んでいた。

連勤が続いていたために、ご飯を食べる気にもなれず、ぼーっとYouTubeでゲーム実況動画を眺めていた。

ご存知だとは思うが、YouTubeの動画を見ていると、一定の時間が経過したところでCMが入る。

その日は、謎のコスプレ(?)をした髭面の外国人が突然出てきた。

そう、レディビアード氏である。

www.youtube.com

 

僕はびっくりして飛び起きた。

と同時に、流れていた「でんでんぱっしょん」のメロディがどうしても気になってしまったのである。

それから僕は毎晩、営業終了と共に一人で焼肉屋に行き、店に戻り、タバコをふかしながらでんぱ組.incのPVを漁ることになる。

おかげさまで7キロ太った。

同じPVを何度も何度も、繰り返し見ていた。

そして何度見ても、最上もがさんから目が離せなかった。

 

元々ライブに行く習慣がなかったために、「現場に行く」という発想が当時の僕にはなかった。

しかし、巡り合わせは運命か。

当時のお客さんの中に、アイドルオタクの男がいた。

思考回路が異常な単純さを誇る僕は、即刻彼に報告した。

「最近でんぱ組.inc気になってるんだけど…。」

「………4月30日暇?」

「遅番の前なら」

「超会議に行きましょう。」

こうして僕の初現場が決まった。

 

 

当日、初めて「生もが」を見た僕は、この気持ちを何と表現したら良いのか全くわからなくなっていた。

時たま、「ぐえ」とも「ひい」ともつかない妙な声が口から漏れていたような気がする。

少なくとも「タイガー」とは全く言っていなかった。

 

僕の初めての推しメンは、まごうことなく最上もがさんなのだけれど、訪れたライブの数は驚くほど少ない。

初めて訪れた超会議。

同じ年のはやぶさかがやきツアー金沢公演。

(友達に「金沢旅行しよう」と誘われたはずが、何故か当日終わるまで一切音信不通になり、予定外のひとり旅をすることになった。TMRのライブが最高だったのと、目の前の席の大人しそうな女の子が、曲の開始と同時に狂ったようにヘドバンをしていた光景が忘れられない。)

TIF2016。

ラゾーナ川崎

年明けの幕神ツアー、幕張公演。

そして二度目の武道館公演。

 

合計して8回しか見ていないのだ。

でも、どれも楽しかった。

 

時期で言えば、僕がでんぱ組.incにハマったのは「ファンファーレは僕らのために」がリリースされた頃だ。

ニワカもニワカ。

友達には「何でそんな時期に」と今でも言われる。

それでもハマってしまったのだ。

そう、レディビアード氏によって。

 

当時働いていた店の状況は驚くほど厳しいもので、僕自身色々と重なって非常に辛い時期だったのだけれど、それでもでんぱ組.incのPVを見ることで、何とか頑張れたと思う。

接触には一度も行ったことがない。

ライブも少ししか見たことがない。

グッズを全部集めたり、映像を全て回収するようなこともない。

 

それでも僕は幸せだった。

 

 

彼女の卒業発表の日は、それを受けて何を思ったのか全く覚えていない。

家で寝転んでいた僕は、Twitterの通知を受け取るや否や、コートだけを羽織って家のふもとにあるバーに駆け込み、スコッチを棚の端から四杯、ストレートで飲み干した。

 

そしてどうやら僕は、Twitterではこんなことを言っていた。

 

その頃には地下アイドルの推しメンや、好きなコンカフェなども出来ていたし、そこで色々なことがあったのだけれど、何が起きても「最上もがさんを見れば、でんぱ組.incのライブを見れば幸せになれるんだ。」と心の拠り所になっていたものが消えてしまうということは、僕にとって堪え難い苦痛だったのだろう。

だから僕は、卒業発表に対して何かを感じることをやめたのだと、今となって何となく思う。

 

 

 

今はもうライブを見ることが出来なくなってしまったし、あの頃もそれほど頑張って現場に通うこともなかったけれど、それでも最上もがさんは僕にとって初めての推しメンで、今でも特別な存在なのだと、これだけははっきりと言える。

脳みそ

イノシシの脳みそを食べた。

ノミとトンカチによってこじ開けられた頭蓋から出てきたそれは、表面がうっすら黒く、中は真っ白だった。

匂いを嗅いでみると、焼いた魚の白身のような、ふっくらとした香りがする。

口に運んでみる。

食感も味も、白子に近い。

普段はほとんど飲むことがないのに、日本酒が欲しくなった。

用意されたクーラーボックスに、ビールしか入っていないのがもどかしい。

おデコ

ある夜、僕は友達と2人でとあるバーのカウンター席に座っていた。

「ずっと聞きたかったことがあるんだけどさ。」

「何?」

「ばばちゃんにとっての"イケてる"って何なの?」

「うーん…。」

彼は、「お腹が空いた」と言って頼んだオリーブを口に一粒放って、考え始めた。

思うにオリーブは、「お腹が空いた」という理由で頼むものではない。

食べ終わった後に「お腹が空いたのなおった。」と言っていたが、どういう胃袋をしているんだ、と今でもたまに思う。

 

彼は、学生時代にやっていたお店で知り合ったお客さんだった。

古着屋とフランス料理屋でアルバイトをし、時たまDJとしてイベントに出る大学生だ。

スラッと背が高く、少し大きめのジャケットや、腕に巻いた革のアクセサリーがやたら似合っていて格好良かった。

思うに彼とは結構仲が良くて(もちろん彼の人当たりの良さもある)、週に何度かは他のお客さんの帰ったお店で、彼の好きな曲を流し、グダグダとお酒を飲み、そのまま近くに住む後輩の家になだれ込んでまたお酒を飲んで、映画を見て寝ていた。

そのまま彼の出勤する古着屋について行き、洋服を選んでもらうこともしばしばあった。

「原くんの体型と好みはもう理解した。」と言って、毎回僕好みのシャツやコートを引っ張り出してくれる貴重な友達だった。

この時は確か、お店で使うBGMの選曲をしてもらう代わりにお酒を奢る、と言う名目で集まっていたはずだ。

 

「俺が思うに、」

「うん。」

「中身と外身がマッチしてる人。」

「え?」

思っていたものと全然違う答えが返ってきた。

 

「この前さ、知り合いの家に行ったんだよ。」

「うん?」

「音楽とか映像とかやってる人でさ、めちゃくちゃ稼いでて、しかも格好良いの。」

「うんうん。」

多分彼はその人の事を、尊敬してるんだろう。

そして、若干言葉に乏しい。

 

「んでさ、家に絵が飾ってあるのね。」

「はあ。」

「これがすごいの、デカいし、綺麗だし、高いし。」

「値段が。」

「そう、値段が。でもさ、俺ら別に絵なんか飾らないじゃん。」

「まあそりゃね。」

多摩の団地の一室に、そんないい絵を飾ってどうするんだ。

 

「でもさ、それが似合っちゃうんだよ。俺は、『これはイケてる』って思ったんだよね。」

「なるほど。」

「原くんは、もうちょっと外身を頑張った方がいいと思うよ。」

 

最後の最後に突然ぶっ刺されたが、このエピソードはかなり心に残っている。

もちろん、その友達を見て「自分も"イケてる男"になりたい。」と思ったこともあるが、「原くんは外身を頑張った方がいい。」と言われたことがより強く残っていた。

普段から彼は僕の外見について、「ホントだっせえな!!」だの「ダサいアメリカ人みたいな体型してるな。」だの「マッシュやめておデコ出しなよ!」だの散々言ってくれたものだけれど(ちなみにおデコ出しなよ!のままワックスを手に取って無理矢理髪の毛をかきあげられたことがある。そのまま僕はトイレに引きこもって前髪を直した。)、「外身を」と言われたことは逆に何だか自信になった。

 

あれから約2年の月日が経った。

彼は就職をし、僕は仕事を辞めてフラフラとしている。

時たまイベントに呼ばれることもあるようだ。

「DJするからいい感じの女の子とおいでよ」と彼からお誘いを受けることもあるけれど、今の彼と会ったら「外身を」どころの騒ぎではなくなってしまうと思い、中々会えない。

…いやもちろん、「いい感じの女の子」がいないこともあるんだけれど。

 

 

この休暇の中でゆっくりと、こうして昔の話を反芻している。

東京に帰ったらやりたい事がたくさんあるし、会いたい人もたくさんいる。

時間は待ってはくれないけれど、せっかく作ったおやすみなのだから、もう少し色々考えてみよう。