大切なお知らせ
今日は、悲しいお知らせがある。
それは、「残念ながら、君に才能なんてものはない。」と言う事だ。
社会とのギャップを感じている人、自分についてこれない周りに怒りを覚える人、小さな成功体験をその学生時代に積み重ねた人、様々だろう。
残念ながら、その誰にも、才能なんてものはない。
と言うか才能がある人は、こんなしょうもないブログを読んでいるわけがないのだ。
世の中には、二種類の人間がいる。
「持っている人」と「持っていない人」だ。
持っている人はとことん持っている。
周囲の環境に恵まれ(単純に富んでいると言う意味ではない)、努力を惜しまず、何より勘が鋭い。
持っていない人は、残念ながらそこにたどり着くことが出来ない。
どれだけ努力をしても、どれだけ頭を振り絞っても、必ず「持っている人」はそれを超えてくる。
だから僕はこのブログをひょっとしたら読んでいるかもしれない、学生達にこう伝えたい。
大学は、辞めない方がいい。
◯大学を卒業することについて
現代の日本では、個人を指し示すために、名前や外見的特徴なんかよりも肩書きの方がよっぽど重要だ。
××大学の誰それさん、であるとか、△△社に勤めている何とかさん、のように大学名や社名、もしくは団体名で認識されることの方が多い。
その昔高校生の僕は、授業が午後からだったために地元の駅を闊歩していたところを警官に補導されそうになったことがある。
「君、どこの中学校の子?何してるの?」
「いやあの、僕早稲田大学高等学院の…。」
おずおずと学生証を見せたところ、「早稲田か!じゃあ大丈夫だな!」と解放された。
そこではない、と結局言えずじまいだった。
「中学生」だと思われて補導されたので「高校生」だと説明しようとしたら「早稲田生」だからと解放されたのだ。
これほど歯がゆいことはない。
大学を中途退学するとまず、この大事な大事な「肩書き」が奪われる。
奪われるどころか、「フリーター」もしくは「ニート」と言う肩書きがその座に滑り込んでくる。
決して両者を否定するわけではない。
仕事なんて個人の自由だ、正社員よりも自由に自分の時間が取れるし、僕も今フリーター生活を満喫しているところだ。
ただ、社会はあまりそれを認めてくれない。
「信用」に関わってくるからだ。
大きな買い物をするためには必ずこの「信用」が付いて回る。
家や車のローン、会社を立ち上げるための資金、etc..
個人の関係にすら何故かこの肩書き問題は関わってくる。
僕が久々に会った友人に「大学を辞めて、仕事も辞めてしまって、今フリーターなんだよね。」と言うと大方の反応は
1.心配する。
2.無関心を装って小馬鹿にした態度を取る。
3.最早隠す気もなく馬鹿にしてくる。
このどれかだ。
本当に無関心もしくは受容してくれる人なんて希だ。
一方で大学を無事卒業するとどうだろう。
経歴には「××大学卒業」という一言が付け加えられ、よっぽど高望みをするか、怠惰でなければ、きっと安定した就職先も見つかるだろう。
今大切な人がいる、もしくは将来結婚を考えているのであれば、問答無用で大学を卒業し就職することをオススメする。
お金のこともある。
これが結構自分にとって大きくて、僕は大学を中途退学したことによって高校時代から積み重ねた分、ざっと1000万円を経歴上、親の財布からドブに捨ててしまった。
1000万円程度か、と思う人がもしいるならば、ください。遠慮なく貰います。
あと、親が泣く。
かなり泣く。
と言うか普通、「大学を辞めます」と言った息子にはいそうですかと二つ返事で了承してくれる親なんてそうそういるもんじゃない。
僕はこの人生最大のワガママを通すために、かなり力技に出ることになった。
ちょうど夜の仕事をしていたので色々な面で困ったこともなかったが、おかげさまで家の中がぐっちゃぐちゃになった。
今となってはそれを取り戻そうとしているのか、出来るだけ家にいたいと思うようになった。
個人的には、恐る恐る昼の職場に訪れた母親と、何とも言えない空気で食べたイタリアンが忘れられない。
あんな顔二度と見たくない。
◯「才能」について
二十歳までの僕は、本当に自分を「天才」だと信じて疑っていなかった。
いや今思うと本当に恥ずかしい話だ。
こんな、ブログ一つ、文章一つまともに書き上げることが出来ないのに何が「天才」なんだろう。
ただ、中学生の頃あたりから周囲とのズレが半端じゃなかったのも事実だ。
まず、話が合わない。
話のネタが合わないのではなく、何かを目の前に置かれた時に、それに対する感想が著しくズレる。
関心の有無すらズレる。
話のテンポ感も噛み合わない。
友人の話す内容の何が面白いのかわからず、そっと席を離れることが多かった。
そして、授業が恐ろしくつまらない。
教科書に書いてあることなんて一人で読んでいた方が面白い。
一々余計な質問で滞ることが酷く苦痛だった。
かと言ってさっさと手を挙げていると、何だか妙な視線を向けられる。
諦めて塾の宿題をせっせとこなせば今度は先生に怒られる。
当たり前の話なのだが、非常に捻くれた僕はそのままいじめられっ子コースへと進んでいった。
話を聞きつけた名前も知らない先輩に胸ぐらを捻りあげられたことなど何度あったかわからないし、不思議なことに「俺はお前のこと、応援してるぞ☆」と見知らぬヤンキーに道端で話しかけられることもあった。
何だったんだ、あれ。
ざっくり中二病まっしぐらだった僕がやっとこさ自分が「そうじゃない」ことに気付いたのは大学三年生、カフェにアルバイトとして入った時のことだった。
その冬僕は、学部が一緒の男の子と池袋へ歩いていた。
どうやら「自分の店の前に自転車を置いていたら、豊島区に撤去されてしまった」らしい。
英語の授業を一緒に受けた後だったので、暇だし散歩がてら一緒に行こう、ということになった。
その時友人から「今カフェやってるんだけど、面白いよ。」と言う話になり、将来カフェを開きたいな、と思っていたので「僕も入れてよ。」と言って面接を受けることになった。
その友人(=店長)の面接を無事パスした僕はそれから約三年間、本当に辛い目にあった。
まず、学生なんて、ほとんど何も出来ないんだと言うことを思い知らされた。
例えば企画、商品開発、接客、教育、どれを取っても社会に対抗出来る気がしなかった。
僕はその時、企画のために色々と数字を取る部門にいて、それも何故か立候補してリーダーになっていた。
方針決定の会議で何度差し戻しを食らったことかわからない。
いくら時間をかけて企画を練っていっても、いつも店長の「そもそもこれってさ」という一言に殺されていた。
毎週二回の会議が怖くて仕方がなかった。
唯一、本当にたった一度だけ全会一致で意見を通して、やっとこさ行動に移れる、と言う状況になったら今度は僕の体力が持たず、企画をポシャってしまった。
あの時のカフェの雰囲気は本当にやばかった。
やっとこさはらが芽を出した、と思ったら即行挫折。アホか。
店長は、授業中の寝ぼけた顔とは想像もつかないほど頭のキレるやつだった。
何がすごいって、まあ大体想像し得る全部がすごいんだけど、例えば頭が良いし、視野は広いし、知識も大したもんだし、人当たりも良いし、プレゼンテーションは異常に上手い。
「正直さ、カフェのことなんて俺一人で全部出来るんだよ」とまで言ってのけた。
反論出来なかった。非常に悔しい。
一番すごかったのは、「やり方を変える」ことが異常に上手かった。
彼は彼なりに「店長職」に対して不安を持っていて、よくそういう話をされた。
人を束ねることは難しいもんだなと思って見ていたが、ほんの半年の間に四度も五度もその顔を変えていった。
時に優しく寄り添い、時に厳しく叱咤し、時に頼りなさげな一面を見せる。
そういう風にスタッフへの接し方を変えることで、求められている「店長像」へ着実に近付いていった。
これには一生敵わないと思った。
自分にはそれが出来る気がしない。
世の中には確実に自分よりも優れた人間がいるものだと痛感した。
そういう化け物みたいな人たちは、この世の中に一定数いる。
確実に自分よりも能力が高く、一生太刀打ち出来ない人は必ずいると言うことを学んだ。
◯これからに向けて
そう、誠に残念ながら「僕たちには才能がない。」
どれだけ頑張っても、絶対に手の届かない領域がある。
ただ一方で、それさえ分かっていれば何てことはない。
だって結局自分の人生なんだもの。好きにすればいい。
「学生の割に」と言われて腹が立つ気持ちも十二分に分かるけれど、辞める前に「学生」という免罪符を大いに活用し、大いに失敗した方が有意義だとは思う。
「学生」である内は、酷く怒られるかもしれないけれど、大抵のことは許してもらえるものだ。
その特権を捨てた上で、自分の人生と向き合う覚悟があるのであれば、最早偉そうなことは何も言うまい。
ただ、「何のために大学を辞めるのか」その一つだけ教えてほしい。