発信者はワ・タ・シ
巷で最近、「カメラを止めるな!」という映画が流行っているらしい。
まあ僕が今滞在している山奥には、映画館なんてハイカラなものは存在しないため、お目にかかるのは少なくとも東京に帰ってからになりそうだけれど。
結構評判が良いので、是非とも観てみたいと思う。
ところでこの映画、「原作者は誰だ」みたいなことで揉めているらしい。
何が問題なのか、正直あまり知らない。
いや何となく分かるんだけど、関わる人間や、各々が主張している事柄が多すぎて、自分の中でイマイチはっきりしないのだ。
劇団時代の原作者(の一人)のnoteを読んでみたものの、内容が全く頭に入ってこなかった。
何だか伝えたいことがはっきりしないし、脱字が多い。
どうしても伝えたいことがあるのなら、それくらいチェックしてから公開すればいいのに、と単純に思う。
同劇団のメンバーが補足ツイートをしていたのを見たけれど、面倒臭いので誰かひとまとめにしてすっきりさせてよ、とすら思う。
脱字だらけのnoteと、140文字以内という制限が課せられたツイートの連投だけでは、伝わるものも伝わらない。
何でこんな面倒臭がるって。
それもそのはず、僕は物作りをする人間ではない。
絵も文章もかけないし、何か形になるものを作ったり、お話を考えたり出来ない。
音楽は好きだし、ギターを少しだけ練習したこともあったけれど、それでもやはり、僕は表現者ではないのだ。
つまり、著作権に対しての認識がかなり甘い人間なのだ、僕は。
世の中にいる、中途半端に関心を持つ人たち、大体こんなもんよね。多分。
昨夜もChromeのタブ機能を駆使して、この話題に関連する内容の記事を読み漁っていたものの、あまりの煩雑さに疲れてしまった。
諦め半分、Twitterのアプリを呼び出し、約ひと月ぶりにTwitterのアカウントを切り替えた。
大学時代の知人を何人かフォローしてあるアカウントを呼び出す。
そうしたら驚いた。
TLがあの「カメラを止めるな!」の話題で埋め尽くされている。
それも知らないアカウントがたくさん。
それらのツイートは全て、一つのアカウントのRTによって表示されたツイートだった。
RTしていたのは僕の、学部の先輩だ。
結婚パーティにお呼ばれしたり、新婚ほやほやの新居にビール片手にお邪魔して奥さんと三人でお酒を飲むくらいには、仲良くさせていただいている。
先輩も奥さんも僕のことを息子のように可愛がってくれる(ちょっとたまに恥ずかしい)。
その先輩はどうやら、劇団の関係者だったらしい。
なるほど。
そこで僕は思った。
「詳しいことは、気になったら先輩に聞けばいいや。」
そうして僕は、再びChromeを起動し、検索エンジンから大量に開いていた「カメラを止めるな!」関連のタブを全て消した。
まあそんなもんである。
これが別に、noteの文章が精巧に仕上がっていても結論は変わらなかっただろう。
基本的にインターネット上に上がっている情報なんて、興味を引くほんの少しのきっかけくらいにしかならないのだ。
しかも知らない人が書いた内容なんて、笑っちゃうほど面白かったり、内容が綺麗にこちらのツボを撃ち抜かない限り、もう判断する段階にすら来ないのだ。
そんなものを根を詰めて読むよりも、よっぽど信頼出来る知人に話を聞いてしまった方が、すっきりするだろう。
東京に帰ったらお酒を飲む約束もしているし、ちょうど良い。