怪我
身体がほんの少しだけ、宙に浮かぶ。
自分が打てる数少ないコースのうち、相手コートの、対角線に向けて思い切りボールを打ち込む。
そして、着地の瞬間、足首に激痛が走り、驚きと共に、僕はコートに倒れた。
大学生活のうち3年間、僕はサークルでバレーボールをしていた。
ほとんど初心者で入った場所は、せめて少しでも上手くなれるようにと、大学のサークルにしては練習にも試合にも真剣に取り組むチームだった。
僕は身長が小さい。
身体も、バレーボールをするには余分な筋肉に覆われすぎていて重たかったため、いくらジャンプしても普通のネットでは、手首から上、ちょうど手のひら一枚分しか出ない。
サークルではリベロ、つまりレシーブ専門のポジションをやっていた。
バレーボールの授業を取っていた時の話だ。
男女混合で試合をする授業のネットは、僕たちが普段使っているものよりも随分低いものだった。
なるほど、珍しくスパイクが打てる。と、僕は張り切っていた。
そんなある日、授業のゲーム中に意気揚々とスパイクを打った僕は、そのまま相手の、ほんの少しこちらのコートに飛び出た足の上に着地してしまい、捻挫をした。
「何だこれ、は!?いったいんだけど!!!!」
即座に駆け寄って来た、授業の補助に入っていた先輩たちに担ぎ出され、先生の横のパイプ椅子に座らされ、靴を脱がされ、用意された氷水入りのアイスケースに足を突っ込まされた。
何が起きたのかわからないまま、なすがままだ。
先生が僕の足に触れる。そのまま足首を、左右に曲げられた。
「こっち、痛いか?」
「いやそっちはそうでも」
「こっちは?」
「いだだだだ」
「内転だね。」
「マジすか…。」
ふと気付く。
「二週間後、大会があるんですけど…。」
「これじゃ無理だね。」
「マジすか…。」
「安静にしてなさい。あと、氷水から足、出しちゃダメだよ。」
気付くと、氷水で冷えて、また別の痛みが襲い始めた足を、僕は氷水から出していた。
しぶしぶ足を氷水に戻し、プレーを再開し始めているコートに視線を向けた。
無理は通らない。
レギュレーションの問題で、同じポジションの先輩はその大会に出ることが出来なかった。
しかも、その大会は先輩たちの最後のリーグ戦だった。
一部に上がれるかどうかの大事な試合。
今思えば、僕が出なくとも後輩や同期の誰かがポジションを変わって出れば良かった話だったのかもしれないが、僕はどうしてもその試合に出たかった。
忠告を聞くこともせず、その日の練習から、病院に行くこともせず、先輩に手伝ってもらって足首をテーピングでガチガチに固めた状態で練習に参加した。
低い体勢でボールに何とか飛びつく僕の動きに、テーピングは著しく邪魔だった。
動きづらい、しかも動けば痛い。
日常生活にも支障をきたしていて、まず道を満足に歩けなかった。
友達に肩を借りながら歩いたり、一人で片足ケンケンをしていた。
点字ブロックを踏んだ時なんて最悪だ。あらぬ方向に突然曲げられた足首を、即座に激痛が襲う。
何とか痛みにも慣れて来たところで、大会当日を迎えた。
何戦か、勝ったり負けたりを繰り返し、次の試合は負けられない。
ここで落とせば、一部リーグに上がる可能性は潰えてしまう。
身長180cmオーバーのガタイのいい、いつも優しい先輩に、足首をまたテーピングで固めてもらい、コートに向かう。
1セット目は落としてしまった。
2セット目、点差は開いていたが徐々に詰めている。
調子も上がってきて、相手の打つボールがよく見える。
今は相手のマッチポイント、ここをしのげばデュースまで持ち込める、まだ試合は分からない、といった展開になっていた。
僕がレシーブを構える対角線上、相手コートにはいつも、相手チームで一番強い奴、つまりエースがいる。
そいつが僕のいる方向へボールを力一杯打つ。
ボールの正面に飛びつく。
本当に、今日はよく見える。
ボールが上がり、相手のスパイカーが悔しそうな顔で何度もトスを呼ぶ姿すら見える。
ざまあみろ、何本だって上げられるぜ。
相手チームのエースは、チームで一番大切な時に、スパイクを決めなければならない。
きっと大学に入るまで中学、高校、大学と、何年もバレーボールに打ち込んで来たのだろう。
それで獲得したそのポジションで打つ渾身のスパイクを、大学から始めてたかだか2年くらいしかバレーボールをしていない僕に、何度も拾われている。
快感だった。
そしてそれは完全に、油断だった。
僕の身体は知らず知らずの内に、コートの内側に寄ってきてしまっていた。
相手のエースが、それまでよりほんの少し外側に、スパイクを打って来た。
あ、まずい。
いつも構えている場所ならアウトになるはずが、その時のボールは、コートの範囲を捉えていた。
外側の足に体重を乗せて、身体を落とす。
おかしい、テーピングが邪魔をして、普段通りに動けない。
痛い。
ボールは僕の、差し出した両腕の内、左腕のほんの少し外側に当たった。
そのまま弾かれたボールは、ネットに当たって、味方コートに落ちた。
嘘だ。
あんなに調子が良かったじゃないか。
これからって時に、何で。
何が起きたのか分からなかった。
先輩に連れられてコート脇で挨拶をし、荷物を置いている控えの場所に座り込んだ。
「原が悪いんじゃないよ。」と、声をかけられて、何も言えなかった。
内側にさえ、寄っていなければ。痛み止めを射って、テーピングをしていなければ。他のメンバーが出ていれば。せめて一週間でも安静にしていれば。あの時、授業でふざけてスパイクなんて打っていなければ。
取り返しのつかない状況に、もうどうしたらいいのか分からなかった。
チームは一部に上がることが出来なかった。
その次の試合は、結局先輩が他のチームメイトの名前を借りて出ることになった。
その試合の結末を、僕はもう覚えていない。
「勝つ」という目的が明確に用意されているスポーツにおいて、僕の出してきた結果はいつもこんな感じで、後悔ばかりが残る。
結果を出すのには、それなりに、いやしかし膨大な準備がいるのだ。
これまでの25年間の中で向き合って来た物事の中で、バレーボールはまだ比較的優しい方だった。
その日に思いついて試したことの結果が、その日、あるいは遅くとも一年以内には返ってくるからだ。
それがたとえ、失敗だとしても。
次は何で失敗するんだろうか。
ここ1年くらい、失敗というほどの何かをしていない。
京都でのお休みも、今日を入れてあと2日だ。