真偽

 一番古い記憶の話をしよう。

 あれは確か小学校1年生の時。目の前に、ブランコに座って泣く女の子がいた。

普段からよく僕の一言が原因で泣いていた女の子。先生はいつも、何も聞かずに僕の頭にげんこつを降らせて、「××が謝りなさい。」と目を釣り上げていた。

 その日も、心配そうに駆け寄る先生の姿に、僕は身を固く引き締めた。

 


まだ結婚前の若い女の先生だ。僕の担任を2年、弟の担任を2年受け持った後、結婚したと風の噂で聞いた。その頃にはもう、同じ校舎の中にいても話す機会が無かったし、何度か弟の教室の近くを訪れても先生はニヤニヤとこちらを見るだけで、不快な気持ちになっていたため僕から話しかけることはしなかった。

 


 話を戻そう。

 身を引き締めた理由はもちろん、この後訪れるであろう握り拳の襲来に耐えるためだ。

 しかし、先生はこちらを一瞥してこう言い放った。

 「ここは××に任せた。」

そうしてグラウンドをさっさと横切って他の子達のところに行ってしまった。

 拳骨に襲われなかった安堵と、起きてしまった誤解への罪悪感がいっぺんに訪れた。

 そもそも普段から僕が暴言を吐くのは、彼女が(つまり泣いていた女の子が)僕の持ち物をゴミ箱に捨てたり、謂れのない中傷の言葉を投げかけてくるからだった。

 やられるだけでは気が済まなかった僕は、彼女のランドセルの中身を全てゴミ箱に放り込んだり、より酷い中傷の言葉をぶつけていたのであった。

 今でこそそれくらい、と思うのだが当時の僕にとってはそれが堪らなく苦痛だった。正当防衛を行う感覚。それでも事情を聞かずに僕が悪であることを決めつけるその女教師のことが嫌いだった。

 


 その日はたまたま、一人でブランコに乗るその女の子へ悪戯心が働いて、正面から突き飛ばした。

振り子のように揺れたブランコは、地面に落ちた彼女の顔に激突した。泣き出す彼女の姿を見て、ひとまずブランコの上に座らせた後、改めて暴言を吐いたのだ。鬼畜か。

 それをまた、あの女教師はろくに事実確認もせずに僕を肯定した。悪いことをしている自覚はあったのだから、むしろ責めてもらった方が良かった。

 


 いたたまれない気持ちのまま、僕は見かけだけ、僕のせいで泣く彼女を励ますことになった。本当に、何て事だ。事実と、評価と、気持ちと、行動がバラバラになっていく感覚がとても気持ち悪かった。