交差

我々は日々、スマートフォンを開いて様々な情報を目にする。

SNS、匿名掲示板、まとめサイト、ニュースサイト、etc...

多様なWebメディアを通して、人々の日常から社会的時事ネタまでその内容は多岐に渡っている。

おそらく文化もそうだ。暗黙の了解と置き換えてもいい。

例えば我々アイドルオタク達がTwitterを利用するにあたって、一部のユーザー間でこんな暗黙の了解があったりする。

「推しメンへのリプライには『いいね』をつけてはいけない。」

「フォローは一言添えてから。」

是非はともかく、それらはTwitterと言うSNSに設定されたルールではなく、ごく一部の界隈に何となく浸透した、あくまでマナーと呼ぶ範疇のものになるだろう。

 

ところで昔こんなことがあった。

場面は深夜1時の高田馬場、今は無い、僕の勤めていたバーでの話だ。

その日は客足も思ったように奮わず、僕は暇な一日を店内で過ごしていた。

たまにカクテルレシピを調べ、練習をして少し味見するのを繰り返す、そんな日だった。

営業時間は2時まで、今日はそろそろ店じまいかしら、と思っていたところに来客があった。

 

学生の団体が、3、4、5、6…7人?

こんな時間に大所帯だなと思っていたが、その内3人くらいは何度か店に来ている、常連の子達だった。

「どうしたのこんな人数で、珍しいね。」と話しかけると、いつも来ている男の子が酔っぱらった様子でカウンターに寄ってきた。

「違うんですよはらさ〜ん…。」

おや?

「居酒屋で飲んでたら隣のテーブルの奴らに絡まれたんですよ〜〜。」

おやおや?

「もしかして…」

「そうです、あいつらですよ〜〜。」

残りの4人の男女は確かに、見た事が無い子達だった。

聞いてみると、どうやら大学も違うらしい。

お酒を飲んでいたら楽しくなって、隣の卓で騒ぐ大学生達に絡んでしまったそうだ。

女の子二人が非常に申し訳なさそうにしている。

別に良い、お客さんはいないよりも、いた方がいい。

 

さっさとオーダーを取り、7人分の飲み物を用意する。

何となくほんわかした空気で始まったと思いきや、どうも様子がおかしい。

絡んできたグループの男の子の片方が、常連の男の子に絡みだした。

一触即発、対応を間違えた瞬間に喧嘩になってしまいそうだ。

そこで常連の男の子が提案をした。

「わかった、そしたらもう、一緒に乾杯をしよう。」

一緒にお酒を飲み交わせば俺たちは仲間だ、と想いを込めての行動に、少しだけ感動した。

何だお前、ちょっと大人じゃないか。

「はらさん、ロンリコ3つください。」

3つ?

「はらさんの分もです。一緒に乾杯しましょう。」

アルコール度数75%を誇るラムを一緒に飲ませてくれるなんて…何ていらん気遣いなんだ。

しかし酔っぱらった後輩の気遣いを無下にするわけにもいかず、琥珀色の液体を注いだショットグラスを3つ、テーブルに運ぶ。

「それじゃ我々の出会いに、乾杯。」

常連の男の子の合図と共に、我々2人はグラスの中身を飲み干した。

しかし招かれた(招かれざる?)客人たる彼は、掲げたグラスを口にあてることなくテーブルに置いた。

「俺は、飲まねえ。」

何やと。そうか、彼の心遣いを、君は受け取らないって言うんだな。

「そうか、じゃあ俺が飲むよ。」と一言かけて、僕は彼のグラスを手に取り、同じように飲み干した。

それからが大変だった。

常連の男の子は一切喧嘩を売るような真似はしていないのに、気付くと彼らはお互いの胸ぐらを掴み合っていた。

テーブルの上のグラスをカウンターに避難させる。

連れ立っていた女の子達が、彼らを引き離す。

常連の子もたまらず「はらさん、俺ここで喧嘩してもいいですか。」などと酔った勢いで吐き捨てている。

ダメだ、それは困る。表でやってくれ。と言うかお前、喧嘩とかしたことないだろ。

「君たちさ、もうお代とかいいから今日は帰ってもらってもいいかな?今日はうちの子も悪かったからさ。」と新規の4人組に声を掛けると、彼らは荷物をそそくさとまとめて出ていった。

やっと終わった…と安心したのも束の間、それまで血気盛んな男の子をたしなめていた女の子が突然出る間際に僕に一言、「早稲田って本当にしょうもないんですね。」と捨て台詞を吐いて出ていった。

僕は悲しくなりつつも、そのまま店の片付けをし、もう既に酩酊しかけている男の子にお水を出す。

「はらさん俺はさあ、何であんな…俺の酒も飲めないやつと…。」

カウンターに突っ伏すのはいいけれど、灰皿に唾を吐くのはやめた方がいいぞって、ああ…。

彼の顔面は、自身の吹きかけた息によって舞い上がった灰で真っ黒になっていた。

「取りあえず、トイレでそれ綺麗にしてきなよ。」

その日は、閉店時間を過ぎるまで、何となく常連の子達とまったり過ごして終わった。

 

彼は、彼なりに精一杯の気遣いで、絡んできた子達を受け入れようとしていただけなのだ。

自分たちの精神に乗っ取って、彼らを仲間に引き入れようと、せめて手打ちにしようと努力した。

それを受け入れられなかったことが悲しかったのだなと思う。

早稲田はしょうもない、それでいいのだ。

俺たちはそれまで何があっても、一緒に楽しくお酒が飲めればそれでいい。

だからだろうか、最後の一言に僕も少し悲しくなってしまった。

 

溢れ返った情報の中で、それを取捨選択していくことは確かに大切だ。

しかし、新しい世界に飛び込みたいと少しでも思うのであれば、そこに既に浸透している暗黙のルールを一度受け入れてみることも、時には必要なのかもしれない。

少なくとも僕は、それを大切にしていきたいと思う。