理由
「はらくんて、女の子みたいな話し方をするよね」
と、昔働いていたカフェの店長に、深夜の野方ホープで言われたことがある。
ラーメンを啜るそいつは、身長は175cmくらいあるのに体重が40kgくらいしか無くて、中性的な顔立ちをしていた。
恐ろしく頭の良いやつだった。
「ああそれわかります。」
と答えたのは、毎晩のようにカフェに泊まって、誰よりも仕事をしていた後輩の女の子だった。
身長が160cmくらいで、こいつも体重が40kgくらいしかなかった。
僕らはその頃、(思い過ごしでなければ)きれいな三角形をしていた、と思う。
「『ふーん』てなって『そうなんだー』で終わっちゃうような話ばかりなんだよ。」
「共感の生き物ですね。」
責めるわけでもなく、事実だけを述べているような二人だった。
自覚はしていたし、特に気にするでもなくその日も僕らはカフェに帰って仕事をするか、お酒を飲んでいたと思う。
何というか、「ふーん」で終わってしまうような話をすることが、僕は割と好きだ。
と言うか一々オチをつけて一人で話すよりも、話題を投げっぱなしにして、それについてやいのやいの皆で突っつくのが好きだ。
突っつき方なんて何でもいい。
関係する話をしてくれて構わないし、それ自体にコメントしてくれても構わないし、何なら突拍子もないコントを始めてくれても全く構わない。
だらだらと続く時間が、心地よいと思う。
真面目な話をする時は、僕は人よりも何かを理解することに少し時間がかかるようなので、受け取って、咀嚼して、考えて、話すを少しゆっくりと繰り返していくのが好きだ。
常に相互的なコミュニケーションを求めているんだと思う。
それはSNSにしてもそう。
僕らが始めたばかりの頃、Twitterはもっと無法地帯で、とにかく便所の落書きのようなものを寄せ集めたようなタイムラインだったと思う。
そんな場所でも、無意識に、誰かからのリアクションを期待するようなツイートを、ついついしてしまっている。
そこで今回この、「ブログを書く」ということを始めるに当たって僕は思った。
「一方的なコミュニケーションの練習をしよう。」
つまり、何かを論理立てて発表する、オチをつけて話す、と言った、ある意味きちんと自己完結した文章を書く、ということだった。
それがこのブログを書く理由だ。
何年か後にこのブログを読んで、「"あの頃の僕は"本当に文章が下手だなあ」と笑えるようになっているといいな。