金色の異端児

僕が最上もがさんを知ったのは、今から3年と少し前。

雑誌の表紙や、SNSでちらほらと画像を見て、何か強烈に、惹かれるものを感じた。

そしてそのまま、当時お世話になっていた美容師さんの元に行き、

最上もがさんにしてください」

と一言、告げた。

 

いつも優しく話を聞いてくれて、時にはお姉ちゃんみたいに叱咤してくれたこの美容師さんも、この時ばかりはうろたえていた。

「もっ…えっ、誰!?」

僕は当時使っていたXperiaZをズボンのポケットから引っ張り出し、お姉さんにもがさんの写真を見せた。

 

「あー…これは一日だとちょっと難しいね。」

「左様ですか…。」

「こんだけ抜くのは難しいから今日ちょっと抜いて、緑とか入れてみる?」

そんなわけで僕はこの日ブリーチを二回し、少しだけ緑を入れた。

 

「少しずつ色を抜いていこうね」と約束していたお姉さんは、いつの間にかその店を辞めてしまっていて、それから会うことはなかった。

ちなみに色を抜いた翌日から、後輩に「雑草みたい」と貶されながら120キロほど歩くことになるのだが、それはまた別のお話。

 

 

 

それから一年も経たないくらいのある夜に、僕は仕事を終え、店の奥にある硬いボックス席に寝転んでいた。

連勤が続いていたために、ご飯を食べる気にもなれず、ぼーっとYouTubeでゲーム実況動画を眺めていた。

ご存知だとは思うが、YouTubeの動画を見ていると、一定の時間が経過したところでCMが入る。

その日は、謎のコスプレ(?)をした髭面の外国人が突然出てきた。

そう、レディビアード氏である。

www.youtube.com

 

僕はびっくりして飛び起きた。

と同時に、流れていた「でんでんぱっしょん」のメロディがどうしても気になってしまったのである。

それから僕は毎晩、営業終了と共に一人で焼肉屋に行き、店に戻り、タバコをふかしながらでんぱ組.incのPVを漁ることになる。

おかげさまで7キロ太った。

同じPVを何度も何度も、繰り返し見ていた。

そして何度見ても、最上もがさんから目が離せなかった。

 

元々ライブに行く習慣がなかったために、「現場に行く」という発想が当時の僕にはなかった。

しかし、巡り合わせは運命か。

当時のお客さんの中に、アイドルオタクの男がいた。

思考回路が異常な単純さを誇る僕は、即刻彼に報告した。

「最近でんぱ組.inc気になってるんだけど…。」

「………4月30日暇?」

「遅番の前なら」

「超会議に行きましょう。」

こうして僕の初現場が決まった。

 

 

当日、初めて「生もが」を見た僕は、この気持ちを何と表現したら良いのか全くわからなくなっていた。

時たま、「ぐえ」とも「ひい」ともつかない妙な声が口から漏れていたような気がする。

少なくとも「タイガー」とは全く言っていなかった。

 

僕の初めての推しメンは、まごうことなく最上もがさんなのだけれど、訪れたライブの数は驚くほど少ない。

初めて訪れた超会議。

同じ年のはやぶさかがやきツアー金沢公演。

(友達に「金沢旅行しよう」と誘われたはずが、何故か当日終わるまで一切音信不通になり、予定外のひとり旅をすることになった。TMRのライブが最高だったのと、目の前の席の大人しそうな女の子が、曲の開始と同時に狂ったようにヘドバンをしていた光景が忘れられない。)

TIF2016。

ラゾーナ川崎

年明けの幕神ツアー、幕張公演。

そして二度目の武道館公演。

 

合計して8回しか見ていないのだ。

でも、どれも楽しかった。

 

時期で言えば、僕がでんぱ組.incにハマったのは「ファンファーレは僕らのために」がリリースされた頃だ。

ニワカもニワカ。

友達には「何でそんな時期に」と今でも言われる。

それでもハマってしまったのだ。

そう、レディビアード氏によって。

 

当時働いていた店の状況は驚くほど厳しいもので、僕自身色々と重なって非常に辛い時期だったのだけれど、それでもでんぱ組.incのPVを見ることで、何とか頑張れたと思う。

接触には一度も行ったことがない。

ライブも少ししか見たことがない。

グッズを全部集めたり、映像を全て回収するようなこともない。

 

それでも僕は幸せだった。

 

 

彼女の卒業発表の日は、それを受けて何を思ったのか全く覚えていない。

家で寝転んでいた僕は、Twitterの通知を受け取るや否や、コートだけを羽織って家のふもとにあるバーに駆け込み、スコッチを棚の端から四杯、ストレートで飲み干した。

 

そしてどうやら僕は、Twitterではこんなことを言っていた。

 

その頃には地下アイドルの推しメンや、好きなコンカフェなども出来ていたし、そこで色々なことがあったのだけれど、何が起きても「最上もがさんを見れば、でんぱ組.incのライブを見れば幸せになれるんだ。」と心の拠り所になっていたものが消えてしまうということは、僕にとって堪え難い苦痛だったのだろう。

だから僕は、卒業発表に対して何かを感じることをやめたのだと、今となって何となく思う。

 

 

 

今はもうライブを見ることが出来なくなってしまったし、あの頃もそれほど頑張って現場に通うこともなかったけれど、それでも最上もがさんは僕にとって初めての推しメンで、今でも特別な存在なのだと、これだけははっきりと言える。