このステージは…
僕の人生最初の推しメンの推し色は、紫色だった。
そして、僕が初めて推した地下アイドルの推し色も、浅葱を添えた紫色だった。
紫色には不思議な縁がある。
今の推しメンの推し色も紫色だし、そう言えばあの子が初めて出してきたカクテルの色も、紫色だった。
僕がオタクを始めて、友達に「最近でんぱ組.incが気になるんだけど…」と相談をした際に、僕は初現場の日程を決めたのだけれど、同時に決まったことがあった。
それが、秋葉原ディアステージへの訪問日だった。
2016年3月11日、予定帳を見てみるとそこには一言、「ビタスイ」とだけ書いてある。
赤色のマーカーは確か、デートの日程を入れるために使っていたはずだから、別れた元カノと行く予定だったのだろう。
その前に別れてしまったので、結局僕は、彼女と一緒にビタスイに行くのではなく、友達と一緒にディアステに行ったのだ。
当日、友達と秋葉原の駅前で合流し、店を前にしてまず驚いた。
入り口の扉の向こう側に、カーテンが降りている。
中の様子は当然全くわからず、「引き返すなら今だぞ。」とでも言われているようだ。
しかし友達の手前、引き返すのも格好がつかない。
何よりもその時は、怖いという感情よりも圧倒的に、好奇心の方が勝っていた。
中に入り、薄暗い空間では既にライブが始まっていた。
促されるまま入場料の千円を支払い、僕たちは一緒にライブを見た。
いや、厳密には一緒にではなかった。
僕はパーテーションで区切られた観客席(と言っても当然椅子などはない)の一番後ろの方にぽつんと置かれた丸テーブルの脇に、一人棒立ちになっていた。
友達は僕よりも二列ほど、前の方にいる。
そして奇妙な踊りを始めた。
見渡すと、その場の全員が同じように踊っている。
奇妙にくねくねと腕を動かしながら、時折奇声を発する集団に、とてつもない熱量を感じた。
そうか、これがオタ芸というものか。
僕は区画の一番後ろから、オタクと、その前で歌う演者を眺めていた。
15分ほどだろうか、ライブが終わった。
「はらくん」
僕はぼーっとしながらも、友達と合流した。
「どうする?二階もあるけど、行く?」
心なしか、普段は自信満々な友達が、珍しくこちらの様子を伺っているように見えた。
「もちろん、行く。」
呆然としつつ、ここでも当然のように好奇心の圧勝である。
進む以外の選択肢が、僕の中には用意されていなかった。
二階に入ると、そこにはカフェのような空間が広がっていた。
昔一度だけ、池袋のメイド喫茶に行ってみたことがあったので、フロアにある謎のカウンター席にも、抵抗はなかった。
僕たちは一緒に、フロアの真ん中にあるテーブル席に座った。
「伝票一緒で。」と、友達が言った。
案内を受け終わった僕たちに、一番最初に話しかけてくれたキャストを、僕は一生忘れることはないだろう。
それが、櫻井珠希さんだった。
何を話したのか、内容は全く覚えていない。
しかし、初めて「秋葉原」に踏み入った僕は、彼女と接した時に「ああ僕はここにいてもいいんだな」と感じたのを覚えている。
そして1時間が過ぎ、会計を終え、友達は僕にこう言った。
「三階もあるんだけど…。」
「行こう。」
この時の僕は、非常に楽しくなっていた。
食らわば皿まで。
最後まで、楽しみつくしてやろうではないか。
一緒に三階のテーブル席に座った僕たち。
案内の時に、友達は「伝票は別で」と言った。
三階の客席は、コの字型のカウンター席と、その後ろにテーブル席がいくつかある。
どうやら、バーを模して作られているようだ。
「はらくんさ、バーテンダーなんだし、オリジナルカクテルでも頼んでみたら?」
と、友達にオススメされた。
なるほど確かに僕はその頃バーテンダーで、しかも休みの日は都内のバーを巡りながら、色んな味や匂いを探求するくらいには、そこそこお酒が好きで、その一言は上手く胸をついた。
メニューを見てみると、特定の誰かに、オリジナルカクテルを作ってもらえるメニューがあるようだ。
面白い。
そう言えば余談なんだけれど、この時の僕は何故か、完全なる裸眼でディアステージを訪れていて、席についたまま周囲のキャストの顔を見ることがほとんど出来なかった。
そこで、うすらぼんやりとした視界の中で、何となく気になったショートカットの女の子を指差して
「オリジナルカクテルを、あの子に作ってもらいたいです。」と注文した。
何を隠そう、僕はショートカットが好きなのである。
少し待って、ご指名の女の子がシェーカーと、マドラーの刺さったグラスと、炭酸水を持って現れた。
それが千影みみさんだった。
目の前で激しく、そして過剰に振られたシェーカーから、紫色の液体がグラスに注がれた。
追いかけるように炭酸水が注がれる。
そしてマドラーで…いやどんだけ混ぜるんだ、せっかくの炭酸が抜けきってしまう。
笑顔で立っている女の子を目の前に、僕はそのカクテルを飲んだ。
鼻からスミレの香りが抜ける、甘い紫色のカクテル。
思わず口をついて出た。
「ヴァイオレットフィズだ。」
「何それ?」
女の子が聞いてくる。
「このカクテルの名前だよ。これさ、花言葉みたいに、カクテル言葉があるんだけど知ってる?」
「何?」
「『わたしを覚えていて』って言うんだよ。」
それを聞いた彼女は、ニコっと笑顔で、「そうなんだ、大人っぽく今度から使ってみたら、ファン増えるかな?」などとふざけていた気がする。
「僕が、何で伝票を別にしたかわかる?」
彼女がテーブルから去った後、友達に聞かれた。
「いやわからん。何で?」
「ポイントカードがあってさ。作るでしょ?」
あーなるほど。
「もちろん。」
こうして僕はこの日、千影みみさんが名前を書いてくれたポイントカードを手に入れたのであった。
それからの一年間は楽しかった。
色々なことがあった。
僕はその後、この店に足繁く通うことになったし、彼女が所属する「ディア☆」や、
「転生みみゆうか」のライブにもたくさん行った。
彼女や、グループを通じて友達もたくさん出来た。
あの頃の僕は、一言で表すとすれば、非常に殺気立っていた。
特定の誰かに対してと言う意味ではない、とにかく初めて体験する秋葉原、アイドル、推しメン、ライブ、全てについて行くのが必死だった。
その頃の僕を初めて見たオタクから、「絶対に関わりたくないと思った。」と言われるくらいには。
感情をそのまま歌に乗せて、ぶつけてくるようなライブをする子だった。
歌も上手いし、何よりも歌っている時の表情が好きだった。
初めて体験するオタクの熱量の、その内側に入りたい、もっと前で見たい、と結構頑張ってオタ芸やMIXを覚えた。
曲中に誤爆をする度に、彼女のライブに、周りのオタクに負けた気がして、死にそうになった。
今ほど「楽しむ」を第一に持ってくるような余裕は、僕にはなかった。
毎回毎回、良い思い出ばかりではなかった。
コンカフェに通っているくせに、接触に当時あまり興味がなかったし、何よりも彼女と話したいことが特に見つからなかった。
失礼な話ではあるが、僕は彼女の容姿について、特別可愛いと思うことも無かった。
日に日に人数の減っていくオタクたち。
秋葉原初心者の僕が彼女を推し続けるのは、少し大変だった。
「何で僕はこの子を推しているんだろうか。」と疑問に思うことも少なくなかった。
それでも、彼女のライブを見ると、そういったモヤモヤは少しずつ晴れていく。
僕は千影みみさんのライブが本当に好きだった。
既に長文になってしまったけれど、もう少しだけ
つづく。