【導入】

 

2012年11月16日、夕方。

授業の終わりと共に、電話が鳴った。

突っ伏した机から顔を上げて携帯の画面を見ると、随分と懐かしい名前が表示されていた。

「はらさんお久しぶり〜、今日夜暇?」

「暇だけど…。」

寝起きでぼーっとしたまま答える。

「ヱヴァ観に行こうよ。」

「え。」

「明日、公開日だから。夜12時新宿ね〜ばいば〜い。」

電話が切れた。

ポツポツと、LINEに「迷う。」とだけ打ちこんで電話主に送信し、帰り支度を始めた。

そうか、明日はヱヴァQの公開初日だった。すっかり忘れていた。

 

【OP】

【Aパート】

 

電話を突然してきたイノウエと言う男は、僕の高校時代の友人であり、また僕が新世紀エヴァンゲリオンというアニメ作品にハマった元凶であった。

Skypeのチャットに打ち込まれた「とりあえず序観て、その後TV版続きから観ればいいから。」と言う言葉に、「何だ26話も観るの億劫だなと思っていたけれど、案外すぐ観終わりそうだな」と簡単に騙されてしまった僕は、結局その後TV版全話、旧劇場版、新劇場版を何度もループすると言う終わらない旅をする羽目になったし、熱中しすぎて高校時代の卒論はエヴァで書いた。

確か、「渚カヲルの正体について」とかそんなテーマで書いた気がする。

はっきり言って僕はその男の事が少し苦手だったのだけれど、しかしせっかく今日の夜は用事が無いし、明日も休みのはずだ。

行ってみるのも良いだろう。

 

家に着き、夕飯を済ませ、風呂に入った。

普段なら寝間着代わりのジャージに着替えるところを、また外行きのパーカーとジーンズに着替える。

いくつになっても、夜家を出るのは何だかワクワクする。

スニーカーを履いて「いってくる」と一言声をかけて家を出た。

 

駅に着くと、イノウエから「ごめん少し遅れる」とラインが入っていた。

ふむ。

僕らは11月17日0時からバルト9で行われる先行上映ではなく、その朝行われる本公開に行こうと言う話になっていた。

夜通し並んで、朝映画を観て、帰る。

これでも十分公開初日に観たと言えるだろう、ということになったのだ。

つまり、多少の遅れは問題ない。

「おけ」と一言返すと、また返信があった。

「今日うこん茶さんも来るからよろぴこ〜〜」

いや待て誰だそいつは。

僕はお前が着く前に、得体の知れない人物と待ち合わせをしなければならないのか。

そういうお前の身勝手なマイペースさが僕は苦手なんだ、と文句をつけてやろうと思ったところで気付いた。

あの子だ。

イノウエのバンド仲間の、いつもダッフルコートを着ていて、おかっぱ頭で、中性的で割とイケメンな、確か鍵盤ハーモニカを吹いている(弾いている?)、線の細い、彼だ。

話した事はないが、顔は分かる。何とかなるだろう。

またLINEが鳴った。

「お金払うからマックで夕飯3人分買ってきて〜」

うるせえ、カス!!!

 

【暗転】

 

3人分のセットが入ったマクドナルドの重たい袋を両手に抱える僕は、映画館の階段に一人で座るダッフルコートの男を発見した。あれだ。

「こんばんは。うこん茶さん?」

「はらくんだね、イノウエがごめんね。」

ニッコリ笑う彼は、やっぱり思った通りの彼だった。

かなり可愛い顔をしている、これはモテるんだろうな。

思えばキャンパスで見かけるといつも、後ろの方の席で女の子に囲まれている。

そう、多分、勘違いでなければ同じ学部に所属しているはずだ。

 

何となくぎこちない挨拶を済ませ、エヴァの話やイノウエの話に花を咲かせる。

そうして過ごしている内に、イノウエが到着した。

「二人とも仲良くなった?」

黙れクソ

「僕ここで待ってるから、二人ともトイレとか行ってきなよ、近くのお店で借りれるから。」

たまには気の利くやつだ、お言葉に甘えて二人でトイレに行く事にした。

時刻はまだ1時くらいだし、開演までは大分時間がある。

腰を上げるとイノウエがまた一言。

「ついでに何かあったかい飲み物が欲しいな。」

本当にお前と言うやつは。

うこん茶くんと二人、近くの飲食店でトイレを借りた後にコンビニに入る。

目指すは飲料コーナー、の前にふと目についたものがあった。

「ねえねえ、」

「ああ、これはいいね、"あったかい飲み物"だもんね。」

呼び止めてそれを見たうこん茶くんは、また可愛い顔でニコニコと笑っていた。

 

「…何で?」

コンビニから戻った僕ら3人は、それぞれの手にちっちゃいカップヌードルを握っていた。

「あったかいだろ。」

「あったかいけどさあ…。」

「文句があるなら俺が食う。」

「いやいいよ、これで。」

文句を言う割に、やけにニヤニヤしてるじゃないか、お前。

さっさとカップヌードルを食べた僕らは、片付けをイノウエに押し付けて、エヴァ談義へと入る。

直前に公開された映像も含めてだ。

 

「列の前の方に、"マジ"な人がいるぞ。」

「何だと、どれどれ」

「アレには敵わないなあ笑」

などと、周りの人の様子も伺いつつ、夜を過ごす。

 

その内、イノウエがうつらうつらとしてきた。

「列、まだ動かないし少し寝る。」

本能のままか、お前は。

うこん茶くんも、彼は彼で「何か遊べるものはないかな」と自分のカバンをゴソゴソしている。

僕はときたま、イノウエに「列が動くぞ」と嘘をついて起こす遊びをしていた。

ふと、うこん茶くんが「あ」と声を出した。

「どうしたの?」

「いや…。」

彼が、カバンの中から何かを取り出した。

「潰れたみかんが、あった。」

カバンの中に入ったものの圧力にほんの少しだけ負けて、座布団のようになったみかんが、彼の手の中にあった。

彼はまた、ニコニコと笑っている。

 

【CM】

【Bパート】

 

階段で夜を明かした僕たちは、公開1時間前の映画館の座席へ3人横並びで座った。

と思ったらその瞬間、すっと意識が座席に飲まれてしまった。

ドン、とスピーカーから流れる音によって目が覚める。

1時間ってあっという間なんだな。

 

少しだけ流れるコマーシャルを終えて、映画が、始まった。

 

 

映画本編が終わった瞬間、シンジたち3人が歩いていくシーンの後、「つづく」のテロップが画面に浮かんだ瞬間、僕はそれを聞いた。

僕も含めその場にいる全員が一斉に「えぇ?」と困惑の混じったため息をついていた。

前の方の座席に座った僕の身体はほんの少し、そのため息の圧に後ろから押されたような気がした。

座席から立った僕らの考えは、珍しく一切の議論の余地なしに一致していた。

「話をしよう。」

「これは話さねば。」

「今の時間、どこならあいてる?」

我々平成生まれのインターネット世代、google先生の力を借りてすぐに議論の場を決めた。

場所は高田馬場ミスタードーナツだ。

何の因果か僕ら3人は、通っている大学が座する地に、山手線に乗って帰ってきた。

早朝にも関わらず既に結構な数の人がいる。

カフェラテを3人分と、少しだけドーナツを載せたトレイを持って、4人席につく。

 

これまで僕たちにとってのエヴァンゲリオンは、過去、既に考察しつくされたコンテンツだった。

その中で自分の思惑にそった考察を選び、また考察を重ね、そしてまた映像を見る。その繰り返しだった。

しかしどうだ、このQは、完全に新しい「エヴァ」だった。

今までの、リメイク版「序」、一般大衆向けロボットアニメ版「破」とは異なる、僕らにとって完全に未知の「エヴァ」だった。

観客の予想を大いに裏切り、また置いてきぼりにし、新たな考察の余地を広げた。

これを話さずに、どうして僕らはエヴァを見てきたんだ。

 

と思った矢先、うこん茶くんが落ちた。

寝てしまった。

楽しい議論はこれからのはずなのに…。

いやしかし僕らの熱はもう止まらなかった。

イノウエと二人、映画館で購入したパンフレットを開きながら、あーでもないこーでもないと話し込む。

1時間ほど話し込んだ僕らの会合は、突如起動したうこん茶くんの「今日は学科説明会だった!」という一言によって幕を閉じた。

 

何となくまた3人で集まるような気はしていたが、その後3人が揃うことはなかった。

僕とうこん茶くんはこれがきっかけで一緒に授業を取るようになったし、また僕が、彼が店長を勤めるカフェに入店したことで2年ほど濃密な付き合いをするようになったのだが、イノウエはその後フランスに留学してキャベツ農家になり、そして他の何だか僕にとってはあまり名前を聞いた事の無い国を転々とし始めたため、物理的に会う事が出来なくなってしまったのだ。

 

 

このヱヴァンゲリヲン新劇場版Qと言う作品には、驚くほど批判的なコメントが多い。

しかし、確かに僕にとってはこれこそが、現代の「エヴァ」なのだ。

僕はこの映画が大好きだし、何よりシンエヴァの公開が待ち遠しい。

公開日が決まったら、誰か一緒に観に行こう。

 

【つづく】