追跡

僕は今、20代最後のバカンスと称して京都府南丹市美山町に来ている。

見渡す限り山、川、田んぼ、畑、その中にぽつぽつと立っている家々。

とにかくすさまじく田舎で、コンビニまで車で30分以上かかるらしい。

早々に文明との癒着を諦めた僕だったが、何と携帯の電波は普通に入る。

しかも泊まっている宿にも、勤務先の旅館にも、Wi-Fiが備わっていて、何不自由なくインターネットの世界に身を置いたままに出来る。

不便なのは単純に、行動範囲を制限されていることくらいだ。

欲しいものがさっと手に入らないのは少しもどかしい。

住んでいる多摩は田舎だ、なんて話をよくしているが、本気の田舎はそんなものじゃなかった。

今まで普通に送っていた生活が、如何に便利なものかを痛感する。

 

 

宿から勤務先までは自転車で約15分。

2年振りに恐る恐る乗ってみたら、案外身体は覚えていたようで安心した。

ただ、サドルが小さすぎるのか、はたまたこの2年で太ってしまった影響か、お尻が少々痛い。

 

今日も19時までのシフトを終え、賄いを食べ、旅館の露天風呂をひとりぼっちで満喫し、宿まで自転車に乗って帰って来た。

余談だが、他人と風呂に入るのが極端に苦手な僕にとって、ひとりぼっちの露天風呂は最高だった。

 

 

ところで僕は怖いものがかなり苦手で、ホラー映画の類が一切見れない。

暗闇についても同様で、住み慣れた実家ですらよっぽど寝ぼけていない限り常に部屋の電気を点けながら移動している。

昨夜、宿のトイレの電気が突然消えたときは思わず声を上げてしまった。

今朝も同じことがあったから、きっと点けた後に一度消える仕様なんだろう。

消えた後はすぐ点くようだったが、携帯電話を肌身離さず持ち歩くことを決心した。

 

そんな僕にとって、今日の帰り道はとにかく地獄だった。

街明かりなんてものは当然無く、街灯の間隔も結構広めにとってあるので暗闇の時間がかなり長い。

怖くて怖くて仕方なかった。

とは言え目の前は、自転車の灯りがあるので、そんなに問題じゃない。

 

問題なのは、後ろだった。

自転車の灯りが、僕が通り過ぎた場所からどんどん暗闇に飲み込まれていく。

車も走る山道を自転車で降りていたため、癖で後方確認を常に行なっていたのだが、もう怖くて仕方なかった。

さっきまで自分が走っていた場所が、通り過ぎた瞬間から消えていくのだ。

まだ慣れない道だったこともあり、前は見えているのに段々、自分の走っている道が正しいのかわからなくなってしまった。

 

15分走ってようやく宿の玄関灯りが見えた時は、ほっとして思わず泣きそうになってしまった。

 

まあ、走ってしまえばなんてことはない。

途中の自販機で購入した缶ビールを飲み、タバコを一服し、「明日は日が落ちる前に帰ろう」と決心した。

ケール

今日はオタクの先輩(友人?)とお酒を飲みに行ってきた。

ちょうどほろ酔いのまま家に到着したところだ。

訪れたお店は、野菜を売りにしたお店だった。

なるほど、昨年まで約二年間野菜を売っていた僕は内心ワクワクしていた。

 

 

驚いた。

野菜がどれも美味しくない。

確かに見た目からしてB品以上の取り扱いだったのだろう。

 

ざっくり

A品…見た目が整っていてサイズも規格内。

B品…サイズに若干の誤差あり。若干の傷あり。

C品…著しくサイズ、見た目に難あり。滅多に店ではお見かけしない。

という感じだ。

正直味はどれも大差ない。

あくまで見た目の話だと思ってもらって構わない。

 

今日のお店では、野菜がどれもサラダバーに綺麗に並べられていたし、ブッフェも野菜を活かしたラインナップ、という感じ。

ただ、どれもなんと言うか、「野菜の味」がしなかった。

 

極めつけがケールだった。

遅れてきた女の子が、お皿にケールを乗せてサラダバーから帰ってきた時、思わず「ケール取ってきたの?」と聞いてしまった。

「何か時間間際で急かされている感じがあったから…。」

と彼女が言った時にそのままオチまで読めてしまった。

深緑色の葉を口に運んだ彼女はそのまま変な声をあげていた。

まあそうだよね、苦いよね。

レタス感覚で行くとしっぺ返しを食らいます。

と言うか嫌いになります、多分。

 

そのケールは僕が貰うことになったのだけれど、口に運んでこれまた驚いた。

 

 

苦くない。

ケール特有の渋味が、えげつない苦味が一切来ない。

いっそ爽やかだった。

こんなケール初めてだ。

 

パクパクとそいつを食べ終え、時間間際まで飲み、テーブルに残ったキャベツを食べ、何だか僕にとってはあまり知らない昔話をして、ほとんど店員さんに追い出される形で店を出た。

飲み会自体は楽しかった。

初めてちゃんと飲む人も、久しぶりに会う人もいたし、嬉しかった。

ただやっぱりちょっとだけ、野菜が物足りなかった。

 

 

あのケール、本当に全然苦くなかった。

その代わり、奥の方からひょっこり顔を覗かせる、特有の甘味もどこにもなかった。

ちょっとくらいクセがあっていいから、そのモノの良さを感じたいな、と思った一晩だった。

将来の夢

僕ね、実は将来の夢、「主夫になること」なんです。

毎日奥さんの帰りを待ちながら洗濯して掃除して、「夕飯何作ろっかな」って考えるの素敵じゃないですか?

夫婦生活も毎日顔を合わせていればそりゃマンネリ化するわけで、そうならないように「今日はちょっと何か新しいことしてみよう。喜んでくれるかな」とか考えていたいわけです。はい。

 

ただね、この夢は多分叶わないと思うんですよ。

残念ながらね。

だって単純に考えて、仮に子供が出来たとして。

奥さんが働いていて、旦那は仕事もせずおうちにいてママ会とか出ちゃうんですよ。

こりゃね、間違いなくまず子供がいじめられますよ。

「お前のとーちゃん何もしないでずっと家にいやがんのーww」ですよ。

多分ママ会からの評価もよろしくないんでしょうね。

「原さんちの旦那さん、自分はおうちにいて奥さん働きに出してるのよ…ヒソヒソ」ですよ。

あーかなし。

掘り下げたいところはたくさんあるのですが、僕としてはやはり、僕を家に置きつつ「女性が働きに出る」ことは可能なのかと言う観点でいってみたいと思います。

 

 

ちなみにこれ、完全に難しいと言うか、無理と言うか、現状であればあまりやってほしくないなと思っています。

肉体的な問題と精神的な問題に分けてみたいと思います。

 

あまりこの表現は適切でないと思いつつ、肉体的な問題点として、どうしても妊娠、出産が外せません。

それ自体が悪いということでは決してなく。

例えば22歳で就職活動をしに来た人も、採用して7年以内に妊娠して職場を離れる可能性が非常に高いんですよ。

こりゃね、正直採用する側としてはかなりリスキーだと思うんです。

だって人を採用するのってこれまたえらくお金がかかるじゃないですか。

先一年以内に辞める可能性が高い、バイトを採るのとはわけが違う。

妊娠して職場を離れて、また戻ってくるように出来る社会制度を、と言う声をよく聞きますが、ここで「難しい」と言うのはそこじゃなくてね。

「いつそれが訪れるか分からない」って事なんです。

だって聞けないでしょう。

「いつ妊娠する予定?」なんて。

あらゆるハラスメントに抵触していて、と言うか時期とか人と状況によるし、割と最低な管理方法ですよこれ。

「いついなくなるのか分からない人」を採用するのってめちゃくちゃ怖いし、僕が上司だったらどんな仕事を振ればいいのか分かんなくなっちゃうと思います。

かと言って「いついなくなるのか分からない人」に振る仕事は「誰にでもできる仕事」でいいのかと言えばそうじゃないでしょうしね。

短期的な計画を立て続けられるか、もしくは行っている仕事の共有がよほど綿密に出来る組織でないと難しいですよね。

出来たらほんと会社的な体力があって、すごいと思うんですけどね。

 

 

ほんで、精神的な問題なんですけど。

ここからは男性側の意見は無視しますね。

女性って、女性であることによって精神的な迫害を受けていると常日頃から思ってるんですよ。

だって、皆が皆ではないし、ごく少数かもしれない、タイミングにもよるけれど、「女性をモノとして捉えている男性」っているじゃないですか。

例えばセクハラする人とか、相手が女性であるが故に個人を軽視する人とかね。

仕事においてのコミュニケーションに、セクシャルな事情をはさむ人っている訳ですよ。

「何か大変なことはない?相談に乗るよ?」からのみたいな。

腹立ちますね。

これじゃ仕事になんかなりませんよ。

実害まではなくとも、なんで「性別が女性だから」という理由でこういう面倒くさい心配事が増えるんでしょうね。

ただの仕事仲間、じゃいられないんでしょうね。

根底にある意識の問題って、解決するのが本当にすごく難しい。

だってそれ、ほとんど無意識ですから。

 

 

そんなこんなで、こんな苦労させるくらいなら全然高望みはしないな、と言う気持ちです。

でもいつか僕の夢が叶えられるような世の中になったら、すごく素敵だなと、思うんですよね。

大切なお知らせ

今日は、悲しいお知らせがある。

それは、「残念ながら、君に才能なんてものはない。」と言う事だ。

社会とのギャップを感じている人、自分についてこれない周りに怒りを覚える人、小さな成功体験をその学生時代に積み重ねた人、様々だろう。

残念ながら、その誰にも、才能なんてものはない。

と言うか才能がある人は、こんなしょうもないブログを読んでいるわけがないのだ。

 

 

世の中には、二種類の人間がいる。

「持っている人」と「持っていない人」だ。

持っている人はとことん持っている。

周囲の環境に恵まれ(単純に富んでいると言う意味ではない)、努力を惜しまず、何より勘が鋭い。

持っていない人は、残念ながらそこにたどり着くことが出来ない。

どれだけ努力をしても、どれだけ頭を振り絞っても、必ず「持っている人」はそれを超えてくる。

 

だから僕はこのブログをひょっとしたら読んでいるかもしれない、学生達にこう伝えたい。

大学は、辞めない方がいい。

 

 

◯大学を卒業することについて

現代の日本では、個人を指し示すために、名前や外見的特徴なんかよりも肩書きの方がよっぽど重要だ。

××大学の誰それさん、であるとか、△△社に勤めている何とかさん、のように大学名や社名、もしくは団体名で認識されることの方が多い。

 

その昔高校生の僕は、授業が午後からだったために地元の駅を闊歩していたところを警官に補導されそうになったことがある。

「君、どこの中学校の子?何してるの?」

「いやあの、僕早稲田大学高等学院の…。」

おずおずと学生証を見せたところ、「早稲田か!じゃあ大丈夫だな!」と解放された。

そこではない、と結局言えずじまいだった。

「中学生」だと思われて補導されたので「高校生」だと説明しようとしたら「早稲田生」だからと解放されたのだ。

これほど歯がゆいことはない。

 

大学を中途退学するとまず、この大事な大事な「肩書き」が奪われる。

奪われるどころか、「フリーター」もしくは「ニート」と言う肩書きがその座に滑り込んでくる。

決して両者を否定するわけではない。

仕事なんて個人の自由だ、正社員よりも自由に自分の時間が取れるし、僕も今フリーター生活を満喫しているところだ。

ただ、社会はあまりそれを認めてくれない。

「信用」に関わってくるからだ。

大きな買い物をするためには必ずこの「信用」が付いて回る。

家や車のローン、会社を立ち上げるための資金、etc..

 

 

個人の関係にすら何故かこの肩書き問題は関わってくる。

僕が久々に会った友人に「大学を辞めて、仕事も辞めてしまって、今フリーターなんだよね。」と言うと大方の反応は

1.心配する。

2.無関心を装って小馬鹿にした態度を取る。

3.最早隠す気もなく馬鹿にしてくる。

このどれかだ。

本当に無関心もしくは受容してくれる人なんて希だ。

 

 

一方で大学を無事卒業するとどうだろう。

経歴には「××大学卒業」という一言が付け加えられ、よっぽど高望みをするか、怠惰でなければ、きっと安定した就職先も見つかるだろう。

今大切な人がいる、もしくは将来結婚を考えているのであれば、問答無用で大学を卒業し就職することをオススメする。

 

お金のこともある。

これが結構自分にとって大きくて、僕は大学を中途退学したことによって高校時代から積み重ねた分、ざっと1000万円を経歴上、親の財布からドブに捨ててしまった。

1000万円程度か、と思う人がもしいるならば、ください。遠慮なく貰います。

 

あと、親が泣く。

かなり泣く。

と言うか普通、「大学を辞めます」と言った息子にはいそうですかと二つ返事で了承してくれる親なんてそうそういるもんじゃない。

僕はこの人生最大のワガママを通すために、かなり力技に出ることになった。

ちょうど夜の仕事をしていたので色々な面で困ったこともなかったが、おかげさまで家の中がぐっちゃぐちゃになった。

今となってはそれを取り戻そうとしているのか、出来るだけ家にいたいと思うようになった。

個人的には、恐る恐る昼の職場に訪れた母親と、何とも言えない空気で食べたイタリアンが忘れられない。

あんな顔二度と見たくない。

 

 

◯「才能」について

二十歳までの僕は、本当に自分を「天才」だと信じて疑っていなかった。

いや今思うと本当に恥ずかしい話だ。

こんな、ブログ一つ、文章一つまともに書き上げることが出来ないのに何が「天才」なんだろう。

ただ、中学生の頃あたりから周囲とのズレが半端じゃなかったのも事実だ。

 

まず、話が合わない。

話のネタが合わないのではなく、何かを目の前に置かれた時に、それに対する感想が著しくズレる。

関心の有無すらズレる。

話のテンポ感も噛み合わない。

友人の話す内容の何が面白いのかわからず、そっと席を離れることが多かった。

 

そして、授業が恐ろしくつまらない。

教科書に書いてあることなんて一人で読んでいた方が面白い。

一々余計な質問で滞ることが酷く苦痛だった。

かと言ってさっさと手を挙げていると、何だか妙な視線を向けられる。

諦めて塾の宿題をせっせとこなせば今度は先生に怒られる。

 

当たり前の話なのだが、非常に捻くれた僕はそのままいじめられっ子コースへと進んでいった。

話を聞きつけた名前も知らない先輩に胸ぐらを捻りあげられたことなど何度あったかわからないし、不思議なことに「俺はお前のこと、応援してるぞ☆」と見知らぬヤンキーに道端で話しかけられることもあった。

何だったんだ、あれ。

 

 

ざっくり中二病まっしぐらだった僕がやっとこさ自分が「そうじゃない」ことに気付いたのは大学三年生、カフェにアルバイトとして入った時のことだった。

その冬僕は、学部が一緒の男の子と池袋へ歩いていた。

どうやら「自分の店の前に自転車を置いていたら、豊島区に撤去されてしまった」らしい。

英語の授業を一緒に受けた後だったので、暇だし散歩がてら一緒に行こう、ということになった。

その時友人から「今カフェやってるんだけど、面白いよ。」と言う話になり、将来カフェを開きたいな、と思っていたので「僕も入れてよ。」と言って面接を受けることになった。

 

 

その友人(=店長)の面接を無事パスした僕はそれから約三年間、本当に辛い目にあった。

まず、学生なんて、ほとんど何も出来ないんだと言うことを思い知らされた。

例えば企画、商品開発、接客、教育、どれを取っても社会に対抗出来る気がしなかった。

僕はその時、企画のために色々と数字を取る部門にいて、それも何故か立候補してリーダーになっていた。

 

方針決定の会議で何度差し戻しを食らったことかわからない。

いくら時間をかけて企画を練っていっても、いつも店長の「そもそもこれってさ」という一言に殺されていた。

毎週二回の会議が怖くて仕方がなかった。

唯一、本当にたった一度だけ全会一致で意見を通して、やっとこさ行動に移れる、と言う状況になったら今度は僕の体力が持たず、企画をポシャってしまった。

あの時のカフェの雰囲気は本当にやばかった。

やっとこさはらが芽を出した、と思ったら即行挫折。アホか。

 

店長は、授業中の寝ぼけた顔とは想像もつかないほど頭のキレるやつだった。

何がすごいって、まあ大体想像し得る全部がすごいんだけど、例えば頭が良いし、視野は広いし、知識も大したもんだし、人当たりも良いし、プレゼンテーションは異常に上手い。

「正直さ、カフェのことなんて俺一人で全部出来るんだよ」とまで言ってのけた。

反論出来なかった。非常に悔しい。

一番すごかったのは、「やり方を変える」ことが異常に上手かった。

彼は彼なりに「店長職」に対して不安を持っていて、よくそういう話をされた。

人を束ねることは難しいもんだなと思って見ていたが、ほんの半年の間に四度も五度もその顔を変えていった。

時に優しく寄り添い、時に厳しく叱咤し、時に頼りなさげな一面を見せる。

そういう風にスタッフへの接し方を変えることで、求められている「店長像」へ着実に近付いていった。

 

 

これには一生敵わないと思った。

自分にはそれが出来る気がしない。

世の中には確実に自分よりも優れた人間がいるものだと痛感した。

 

そういう化け物みたいな人たちは、この世の中に一定数いる。

確実に自分よりも能力が高く、一生太刀打ち出来ない人は必ずいると言うことを学んだ。

 

 

◯これからに向けて

そう、誠に残念ながら「僕たちには才能がない。」

どれだけ頑張っても、絶対に手の届かない領域がある。

 

ただ一方で、それさえ分かっていれば何てことはない。

 

だって結局自分の人生なんだもの。好きにすればいい。

 

「学生の割に」と言われて腹が立つ気持ちも十二分に分かるけれど、辞める前に「学生」という免罪符を大いに活用し、大いに失敗した方が有意義だとは思う。

「学生」である内は、酷く怒られるかもしれないけれど、大抵のことは許してもらえるものだ。

 

その特権を捨てた上で、自分の人生と向き合う覚悟があるのであれば、最早偉そうなことは何も言うまい。

ただ、「何のために大学を辞めるのか」その一つだけ教えてほしい。

硬派

ある春先の出来事、大学生だった僕は、二日間に渡って開催される理工学部のスポーツ大会に、例年通りサークル員全員で遊びに行っていた。

一日目は参加者全員、翌日二日目の大会本番に向けて大学の施設に泊まる。

新入生が初めてお酒に触れる場としては絶好のイベントだった。

 

ご想像の通り、大学のサークルの飲み会なんてものは大抵目も当てられないほど酷いもので。

一年目の僕はこの洗礼によって、飲み始めると共にぶっ倒れ、真っ青な顔で電動マッサージ機宜しくブルブルと震え、あまつさえトイレの個室に鍵をかけたまま寝始めた、らしい。

全く覚えていない。お酒って怖いね。

 

そんなイベントなもんだから上級生達はさぞ張り切る。

滅多に役目を果たすことの無いブルーシートを部屋中に敷き詰め、その内二人か三人くらいが後輩達を別室に呼び出した上で「自己紹介」の仕方を懇切丁寧に叩き込み、その上で最上級生たちの待ち受ける会場へと連れていくのだった。

 

全員が会場に揃い、最上級生だった僕はその年非常にワクワクしていた。

僕だけではない、その場にいた全員が、後輩を含め高揚感を隠しきれていなかった。

今年はどんな面白いものが、という上級生達と、大学生の飲み会という未知の世界にこれから飛び込まんとする新入生。

期待感高まる中、奴らは突然部屋を訪れた。

 

見回り担当の学部の先生達だった。

実はこのイベントは一年前から禁酒令が敷かれていた。

一年前の見回りが「お前らやりすぎるなよー笑」くらいのものだったので完全に油断していた。

その年の先生達は厳しかった。

予想打にしないシリアスムードの教員達にこってり絞られた僕たちは、することもないので渋々ブルーシートを仕舞い、大部屋に布団を敷き、寝ることにした。

いや本当は彼らが去ってから飲み会を再開しようとしたのだけれど、二週目が用意されていてこっぴどく叱られたために寝ることにした。

何て味気ない夜なんだ。残念でならない。

そこでまたドアをノックする音がした。

 

え?僕に客?

そこに居たのは学部の友達だった。

「はらちゃん、ナンパしに行こうよ。」

何てことだ、楽しみにしていた飲み会を奪われた僕に、「ナンパ」と言う甘美な響き、泊りがけの大学のイベント、蜘蛛の糸を目の前にしたカンダタのように、僕はその誘いに乗ることにした。

さらばサークル員達よ、僕は一つ大人な夜を楽しんでくるよ。と言う気持ちで意気揚々と部屋を出た。(本当に申し訳ない)

 

出たはいいが、僕はナンパなどしたことがなかった。

遊びに来ていた友達四人はある程度経験があるそうで、2-2-1に別れて女の子に声をかけることになった。

僕は友達に着いていって、まあ適当におしゃべりでもすればいいんだろう、くらいに思っていた。

始めてすぐ女の子2人組といい感じになった。

一緒に組んだ友達の話術がそれは素晴らしいもので、あとついでに彼は顔も非常に整っていて

「あの二人良くない?はらちゃんどっちがタイプ?」

と簡単な打ち合わせだけを済ませてさっさと声をかけ、さっさと近くの空き部屋を確保し、4人でお話をすることになった。

僕は終始圧倒されていた。

話しながら、「上手くいきすぎている」と悶々としていた。

しかも女の子2人とも可愛いし。何だこれは。

気付くと、一緒にお酒を飲もうよ、というお話になっていた。

 

何て夜だ。

可愛い女の子が2人、諦めていたお酒まで飲めるなんて。

お酒を飲むことになって早速、友達が僕のサークル部屋から2Lパックの焼酎をかっぱらってきた。

渡してきた後輩は「これではらさん殺っちゃってください!」とノリノリだったらしい。

何かが間違っている。

 

飲むなら部屋を変えよう、と言うことになった。

自分のサークル部屋から持って来たものだから、と僕はそのパックをむき出しのまま片手に持ち、4人で廊下を歩いていた。

その時だった。

 

「おい君待ちなさい。」

 

我々は大胆にも、教員達の待機するロビーを横切ろうとしていた。

気付けば他3人の姿はなく、あまりの冷たい声に思わず僕は立ち止まってしまった。

サークル部屋での叱り具合からして、完全にこれはマズい。

 

「君、XXXXサークルの子だな?名前を言いなさい。」

しかも所属まで割れている。

 

「後で面談を行うので、必ず来る様に。」

名前を控えられ、焼酎を奪われた僕はすっかり意気消沈し、ようやく部屋に帰って寝た。

どこかに隠れていた級友は、またどこからともなく現れて「ドンマイ」と一声かけて去っていった。

 

 

その後は非常に大変だった。

「昨今アルコールによる死亡事故が多発する中、お酒禁止の学部公認イベントで、あまつさえ焼酎の2Lパック持って走り回るとか、正直もう退学処分なんだけど反省如何によってはどうにかなる場合もあるよ」的な意味合いを含めた面接を受け、必死な思いで人生初の反省文を書き上げ、反省文の宛先を間違えたことによりまた呼び出しを受け、結果が通知されるまで死ぬほど落ち着かなかった。

これで退学になったら親に何て言えばいいんだ。

「ナンパしたら退学になりました。」

いや絶対無理だ、殺されてしまう。

 

「僕、退学になってもここに居ていいかなあ」などとサークルのキャプテンや、当時入っていた学生経営のカフェの店長に弱音をこぼしながら、その時を迎えた。

ざっくり受け取ったメールの文書には「次何かやったら問答無用で退学に処する」的な文言が入っていた。

 

 

ほっとしたのと同時に、もう本当に懲りた。

そして心を入れ替えて生きることに決めた。

とは言えお酒をやめることは不可能なので、僕はもう今後一切ナンパと言うものはしないと固く心に誓ったのであった。

理由

「はらくんて、女の子みたいな話し方をするよね」

と、昔働いていたカフェの店長に、深夜の野方ホープで言われたことがある。

ラーメンを啜るそいつは、身長は175cmくらいあるのに体重が40kgくらいしか無くて、中性的な顔立ちをしていた。

恐ろしく頭の良いやつだった。

 

「ああそれわかります。」

と答えたのは、毎晩のようにカフェに泊まって、誰よりも仕事をしていた後輩の女の子だった。

身長が160cmくらいで、こいつも体重が40kgくらいしかなかった。

 

僕らはその頃、(思い過ごしでなければ)きれいな三角形をしていた、と思う。

 

「『ふーん』てなって『そうなんだー』で終わっちゃうような話ばかりなんだよ。」

「共感の生き物ですね。」

責めるわけでもなく、事実だけを述べているような二人だった。

自覚はしていたし、特に気にするでもなくその日も僕らはカフェに帰って仕事をするか、お酒を飲んでいたと思う。

 

何というか、「ふーん」で終わってしまうような話をすることが、僕は割と好きだ。

と言うか一々オチをつけて一人で話すよりも、話題を投げっぱなしにして、それについてやいのやいの皆で突っつくのが好きだ。

突っつき方なんて何でもいい。

関係する話をしてくれて構わないし、それ自体にコメントしてくれても構わないし、何なら突拍子もないコントを始めてくれても全く構わない。

だらだらと続く時間が、心地よいと思う。

真面目な話をする時は、僕は人よりも何かを理解することに少し時間がかかるようなので、受け取って、咀嚼して、考えて、話すを少しゆっくりと繰り返していくのが好きだ。

常に相互的なコミュニケーションを求めているんだと思う。

 

それはSNSにしてもそう。

僕らが始めたばかりの頃、Twitterはもっと無法地帯で、とにかく便所の落書きのようなものを寄せ集めたようなタイムラインだったと思う。

そんな場所でも、無意識に、誰かからのリアクションを期待するようなツイートを、ついついしてしまっている。

 

そこで今回この、「ブログを書く」ということを始めるに当たって僕は思った。

「一方的なコミュニケーションの練習をしよう。」

つまり、何かを論理立てて発表する、オチをつけて話す、と言った、ある意味きちんと自己完結した文章を書く、ということだった。

それがこのブログを書く理由だ。

 

何年か後にこのブログを読んで、「"あの頃の僕は"本当に文章が下手だなあ」と笑えるようになっているといいな。

突然だが、僕のFacebookの言語は「関西弁」に設定されている。

 

「いいね」は「ええやん」になっているし、「コメントする」は「ツッコミ」、「シェア」は「わけわけ」だ。

通知ももちろん関西弁なので、「○○さんが✕✕をわけわけしたで!」という具合に来るわけだ。

東京生まれ福島育ち、関西圏には縁もゆかりも無い僕だが、案外これが気に入っている。

 

親しみやすい通知に、興味のないジャンルの話でもついつい開いてしまう。

ただ、一度だけこの通知にゾッとしたことがあった。

 

 

あれは学生経営のカフェで働いていた頃、同期の男の子と二人っきりで飲みに行った時のことだった。

仕事に追われていた僕らはたまの息抜きにと、珍しく他のスタッフ抜きで飲みに行くことに決めた。

同期の男は他に二人いたが、その二人ともが酷い下戸で二杯も飲めば赤くなって寝てしまうほどだったために、せっかくなら(比較的)飲める二人で気兼ねなく飲んで語り合おうじゃないか、という事になった。

 

当時僕には行きつけのバーが何件かあって、その内の一軒に行くことになった。

同期の子も何度か行ったことのある場所で、と言うかこの店に僕は翌年入店し、更には潰すことになるのだが、それはまた今度ゆっくり話すことにする。

 

とにかく行きつけの場所だと、常連には知り合いが多かった。

単価も安く、お客さんの内7割は学生だったために、仲良くなるのはそう難しいことではなかったのだ。

 

その日もよく会う女の子がカウンターにいて、僕らはその横に並んで座ることにした。

一杯目を頼んで待っている間、女の子と挨拶と簡単な世間話をしている内に、何だか様子がおかしいことに気付いた。

どうやら最近いい感じだった想い人と上手くいっていないとのことだった。

彼女は酷く落ち込んでいて、時たまカウンターに顔を伏せてどうすればいいの、とうーうー唸っていた。

 

一杯目の乾杯も雑に済ませ、一緒にその話を聞いていた同期は僕にこう言った。

「はらさん、これはね、もう俺らが盛り上げるしかないですよ。飲みましょう。」

いや本人を前に盛り上げようと意気込みを語るのが間違っているし、そもそも盛り上げるしかないと言うのがよく分からないし、僕らが飲んだところで果たしてそれは盛り上がるのか、と様々な思いが駆け巡った結果僕は一言こう言った。

「…お金今日あんま無いから、俺は遠慮しとくよ。」

「俺が出しますよ、飲みましょう。」

間髪入れずに逃げ道を塞がれてしまった。

さすが漢・竹内。

「恋愛とは、叶わないからこそ永遠なのだ。」と入店初日に熱く語って周囲を置いてきぼりにしただけのことはある。

潔さと自らを追い込むことに関して、彼の右に出るものはいない。

 

あたふたしている僕を他所に、彼はいつの間にか店員にロンリコのショットを二杯頼んでいた。

知っている人は知っているだろうが、このロンリコと言うお酒はとてもいいゴールドラムだ。

鼻から身体全体に心地よい甘さが吹き抜ける代わりに、度数が75.5度もある。

(参考までに、普段カクテルに入っているラム酒や、皆が大好きなテキーラは基本的に度数は40度しかない。)

誤解しないでほしい、度数がちょっとだけ高いだけで良いお酒なのだ。

何てモノを頼むんだこいつは。

 

二人でそのままロンリコによる乾杯(文字通り、「杯」を「乾かす」行為)を四度ほど済ませたところで、何だか心地よくなってきてしまった。

漢・竹内は先程から頻繁にトイレと座席を行ったり来たりしている。

僕はと言うと、悲しげな知り合いの女の子の悩みをひたすらに聞いていた。

一通り聞いたあとで、僕は彼女にこう言った。

 

「そんなしょうもない男なんかやめて、俺にしなよ。」

 

かっこいい。月9だったら彼女をこのまま抱きしめてエンドロールが流れるところだ。

抱かれたい男ランキング、という物が仮にあったとすればそこそこ戦えるのではないかと思う。

我こそはという方は、TwitterへのDMをお待ちしております。

 

しかし実際のところは深夜一時の高田馬場、横にはしゃっくりの止まらない同期を抱えながらの一言だったためにそこまでの展開は望めなかった。

ただ、「責任取ってくれるの?」と涙を拭いながら笑顔になった彼女を見て、僕は満足した。

そして調子に乗ってこうも続けた。

「もちろん、結婚しよう。」

後になってみればこれが良くなかったのだと思う。

 

その後更にロンリコを二杯ほど追加した僕と竹内の戦いは、女の子の笑顔と、泥酔した竹内を閉店した自分の店に送り届けなければならないと言うミッションを獲得し、終了した。

完全勝利と言っても差し支えないだろう。

煽ってきた同期は潰れ、女の子は笑顔になった。

なんて平和なんだ。

トイレの便器に向かい合ったまま動けなくなった竹内をよそに、僕は野方ホープへと向かった。

そしてラーメン大盛りコテコテを完食し、悠々と店に戻っていった。

これも良くなかったのだと思う、本当に。

店に戻った僕は、ようやく寝静まった彼を見て勝利を確信した。

 

「あいつは雑魚だ!!!俺が最強だ!!」と店のスタッフルームでソファに腰掛け、高笑いをしていた。

今更だが、今回の話には一切脚色を加えていない。

本当にソファに深く腰掛けて「はーはっはっは」と高笑いをしていた。

そしてその次の瞬間、僕は嘔吐した。

 

 

一気に情けなさが込み上げてきた。

竹内は一通り戦いを終え安眠についているというのに、今更になって僕は便器と向かい合い始めた。

店に残って残業をしていたスタッフが心配してトイレまで入ってきて、僕の介抱が始まった。

 

あまりお酒が飲めない割に調子に乗って強いお酒を飲み続け、あまつさえラーメンによって胃袋を圧迫し、何ならそれでも彼女が出来たわけでもなく、こうしてスタッフに迷惑を掛けていることに情けなさすぎて涙が出た。

あとなんだかよく分からないのだけれど、喉が切れてしまったらしく血が結構出て便器が赤く染まった。

それを見た後輩の女子が悲鳴をあげたのを覚えている。

 

この日の僕の記憶は号泣までで、気が付くと日は高く昇り、僕はスタッフルームの床に転がっていた。

今何時なんだろう。

二日酔い特有の気だるさを抱えながら、携帯を見た僕はそのまま固まった。

 

携帯の画面は、100件を優に超える「ええやん!」の通知と、大量のLINEの通知によって埋め尽くされていた。

 

LINEの通知には、「おめでとう!」というものがほとんどで、時たま「嘘でしょ!?何があったの!?」と言う文章が残されていた。

恐る恐る、僕はFacebookを開いた。

 

 

「はら ともひろさんが結婚しました!」

 

 

そこには、僕の交際ステータス変更のお知らせが載っていた。

おぼろげな記憶を辿ってみれば、泣いていた女の子が嬉しそうに

「ほんとに!?ちょっと携帯貸して!」

と僕の携帯電話をいじっていた…ような記憶があるような無いような気がする。

意を決して「ええやん!」の欄を開いてみれば、そこには高校時代から、大学、アルバイト先の友人、またお世話になった先生方の名前まであった。

その中には当然のように、先日亡くなった恩師の名前もあった。

 

一瞬にして二日酔いはどこかに行き、慌ててステータスを元に戻し、謝罪文を打ち込んで携帯電話の電源を切った。

 

そしてもう深酒はしないと心に誓った。

 

 

先日のお通夜の後の飲み会で、クラスメイトが「実はお見舞いに行った時に、」という話をしていて咄嗟にこの話を思い出した。

今思えば、僕と先生の最期のコミュニケーションは、この誤爆によって締めくくられていた。

 

なんて親不孝な、情けない生徒なんだろう。

いつか本当に、嬉しい報告が出来たらいいなと思う。

その節は、お騒がせし本当に申し訳ありませんでした。