ピーナッツバターを食パンに塗る余裕が欲しい。
日光が差し込む部屋で、ゆるやかに眠りから醒める。
少し肌寒くなってきた、と薄いパジャマの上から半纏を羽織る。
キッチンへ向かい、やかんにお湯を沸かす。
シュンシュンと元気な音が鳴り始めた頃に、トースターに食パンを2枚、放り込んだ。
目玉焼きと冷蔵庫に残った少しのベーコンを焼いて、コーヒーを淹れる。
焼けたパンをお皿に移し、今朝の新聞と一緒にテーブルへ運ぶ。
テレビをつけるといつものニュース番組。
半分くらい昨日の夜見た内容と同じだな、と思いながらトーストにピーナッツバターを塗る。
新聞紙を広げつつ、僕はトーストをかじった。
朝、食パンにピーナッツバターを塗る余裕が欲しい。
いや、別に金銭的にピーナッツバターが買えないとかそういう話ではないのだ。
夜遅くまで精力的に(あるいは怠惰に)活動する僕は、早起きが出来ない。
起きるのはいつも家を出る10分前、良くて20分前だ。
とても優雅にピーナッツバターをトーストに塗りたくっている暇などないのだ。
というかそもそも血圧の低い僕は朝ご飯を食べられない。
小学生の頃、朝ご飯に用意されたピザトーストにかじりついた僕は、焼けた食パンの耳を噛みちぎることが出来ずにそのままそれを皿に戻して家を出た。
翌日以降、僕に朝ご飯が用意されることはなかった。
かれこれ14年ほど経って、未だに朝ご飯を食べる習慣がない。
お水を一杯飲むので精一杯なのだ。
たまに気分が良くて食べる事はあるけれど、時間も無いし食べると激しい眠気に一日中襲われるため基本的には食べない。
ピーナッツバターを最後に食べたのはいつだっただろう。
開けて一ヶ月くらいしか保たないピーナッツバター。
とてもじゃないけど賞味期限の内に消費出来る気がしない。
食パンなんて3日くらいしか保たないのに。
6枚切りなんて買った日には、1日最低でも2枚のノルマを課せられてしまう。
無理だ。
今の僕には、到底不可能だ。
朝、食パンにピーナッツバターを塗る余裕が欲しい。
推定、泥酔
再三このブログにお酒を飲む話を書き連ねている僕ですが、見ての通りお酒を飲むのがとても好きです。
一人で飲むのも、誰かと二人でじっくり飲むのも、またあるいは大勢で和気藹々と飲む事もとても好きで、ことあるごとに誰かを誘ってみたり、飲み会を自ら開いたりなどしている気がします。
お店も、たくさん知っているとは言いませんが、色々なところに行くのが好きです。
バーでしっぽりやることもありますし、居酒屋も、お料理をメインで取り扱っているところも、どこでも飲みたくなれば飲みます。
失敗ももちろんたくさんしました。
つい先日も、自ら誕生日パーティを開いたくせに後半の記憶が無くなってしまいました。
思えば僕のお酒好きも、在籍していた早稲田大学という大学、あるいは組織が形作ってくれたような気がします。
学生の当時は失敗も今の比にならないほど酷く、飲むと(潰れて高田馬場の駅前に転がったり、電車を乗り過ごしたりなどを理由に)帰れないのは当たり前。
飲食店のフロアど真ん中で突然着替えを始めたり、トイレの手洗い場を詰まらせたり、客席で吐いたり、電車の乗り換え途中にホームで吐いたり、車内で吐いたり…。
泣き上戸のため、サークルの合宿では夜の飲み会の度に所構わずわんわん泣いていたような気がします。
今となっては何をしたのか、上げ始めるとキリがありませんし、また記憶もあまりありません。
そんな大学生活を送っていたため、いわゆる"大学生の飲み会"に一種のアレルギーのようなものを抱えているような気がします。
道ですれ違う、すました顔で歩いているサブカルっぽい彼も、何だか良く分からない髪色で白いジャージを着てテニスバッグを背負う彼も、小綺麗なワンピースを着る彼女も、サークルの飲み会になればピッチャーを両手に持つ魔人、あるいは大きな声でコールを振りながら、目の前のグラスを淡々と開けるマシーンと化すのだろうな…と思うと少し引いてしまいます。(一方で、立ち向かってくるようなら戦うぞ、という謎の感情が肝臓の奥底からチラ見するのは内緒です)
しかしどうやら、話を聞いてみると、意外や意外、昨今の学生達はそこまで激しく飲む事はないようです。
今まで大学生の飲み会なんてものは、翌日の予定も気にせず、身体の動く限り、ただひたすらにアルコールを接種し続け、その夜あるいは翌朝は、嘔吐物にまみれて駅のホームに転がっているものだと思っていました。
実際のところ、本当に世の中の大学生全員がそんな状態になっているのであれば、都内の駅のホームは死体と吐瀉物にまみれているでしょう。
しかしそうではないということは、きっと、皆そんなにお酒をたくさん飲んでいないのでしょう。
本当に?
僕は大学生時代、お酒を飲むほかにもう一つ、学んでいた事がありました。
それは、数学です。
もう式だの何だのはあらかた忘れてしまっていますが、ひとつ、面白いものを思い出しました。
「フェルミ推定」です。
フェルミ推定とは、「ざっくりこれってこんくらいあるよね」という仮説をもとに、「てことはこれはざっくりこんくらいだよね」というものを予想するものです。
言うよりやるが易し、取りあえずやってみましょう。
case「一日に、東京都内の各駅で倒れている大学生は総勢何人?」
前提として、大学生は全員お酒が大好きなものとします。
以下を仮定します。
◯大学生の人数
早稲田大学は確か総生徒数が日本で二番目に多く、その数は大体5万人くらいだったような気がします。
東京に大学がいくつあるか、ここでは仮に100校としましょう。
日本で二番目に多くて5万人、一番は日大でしょうから、少なく見積もっても10万人はいます。
100校のうち2校で10万人、これを単純に50倍なはずはありませんから、5倍くらいにしておきましょう。
50万人。
都内の大学生の数は大体50万人とします。
◯泥酔して潰れている大学生の数
学年ごとに、50万人をそれぞれ12.5万人ずつ分けてみます。
一年生は飲み慣れておらず失敗することも多そうです。
二年生は中堅、飲み会の主役と言っても良いでしょう。失敗が板につく頃かな。
三年生になると少しずつ数が減って行くような気がします。
四年生は就活もありますし、サークルを引退する人も出て来るので、もっと少ない。
と言う訳で、自身の経験も踏まえて一度の飲み会につき潰れる人数は
一年生:3割
二年生:4割
三年生:2割
四年生:1割
くらいで考えてみましょう。
今回は「大学生は全員お酒が大好き」という前提条件があるため、参加率100%、飲み会は週三回発生する物と考えます。
学年別の割合と、週三回の飲み会という仮定より
12.5万人*(3+4+2+1)/10*3/7=5万人
一日に約5万人の大学生が、東京都内のどこかの駅で潰れています。
◯東京都にある駅の総数
東京に走る路線はいくつあるんでしょう。
JRは山手線、中央線、総武線、埼京線、湘南新宿ライン、横浜線、南武線、青梅線。
東京メトロは丸の内線、東西線、南北線、副都心線、半蔵門線、千代田線、有楽町線、銀座線、日比谷線くらいですか。
モノレールも多摩都市モノレールと東京モノレールがあって、これは中々数が多そうです。
挙げてみただけでも全部で30路線。
しかし多摩湖線のように7駅しかない路線もあったり、停車駅が被っている路線もありますから、平均して各20駅ずつくらいにしておきましょう。
と言う訳で、
30*20=600駅
都内には600個くらい、駅がありそうです。
◯結果
都内のどこかの駅で、毎日総勢5万人の大学生が潰れています。
都内に駅は600駅。
50000人/600駅=約83人
毎日、各駅約80人の大学生が潰れている計算となりました。
そんなわけ、あるか!!
ご清読ありがとうございました。
いま
皆さんお久しぶりです、はらです。
約3ヶ月半ぶりの投稿になります。
この3ヶ月の間に色々なことが起きました。
僕は今、生まれ育った多摩の地を出て、江東区は木場に住居を移しています。
一人暮らしではなく、仲の良い友達もといオタクと3人暮らし、所謂シェアハウスというやつです。
住み始めてぼちぼち3ヶ月が経ちますが、感想は思ったよりもフツウ。
強いて言えば、家が都心に近くなったので夜寝るのが遅くても、朝が早くても少し楽になったことくらいでしょうか。
あと家に流れるBGMがとても良いなと言う感じです。
実家にいる時はほとんどの時間を、自室でパソコンを叩いたり電話をしたりするなどして過ごしていた僕ですが、あの頃よりも圧倒的にリビングで過ごす時間が増えました。
ところで、リビング、ここでは正式にリビングルームと呼びましょうか。
リビングルームの語源を、皆さんご存知でしょうか。
19世紀頃、今で言うリビングルームは”パーラー”と呼ばれていました。
これはフランス語で”話す”を意味する”parler”から転じてそう呼ばれるようになったそうなのですが、その役割は語源の通り、例えば家族同士や、来客があった際の団らんの場所だったそうです。
同時に、この場所にはひとつの大きな役割がありました。
パーラーは、故人との最後の別れの場でもあったそうです。
当時の住人達は、埋葬前の故人の遺体をその場に横たわらせ、最後の別れを告げます。
そう言った役割がこのパーラーにはあり、かつその”死”のイメージはパーラーに根強く紐づいていたようです。
第一次世界大戦後、医療の発達や各々の健康管理によって”死”は段々とその数を減らしていきました。
それと共に1910年、”the Ladies Home Journal”が「最早この部屋は死の部屋(death room)ではない、死ではなくより活発な空間としてリビングルームと呼称されるべきだ。」と主張することによってこの”リビングルーム”と言う単語は普及されたようです。
なるほど。
意味が明確な単語が、固有名詞として扱われていることは何となく今まで疑問だったのですが、この機会にと調べてみて、少しすっきりしました。
しかし上記の内容はあくまでネットの記事をいくつか読んだ程度のもの。
しっかりソースを調べ上げきったわけでもありません。
インターネットの普及した現代において、ソースを確認する力こそがそれを上手く使いこなすかどうかのターニングポイントと思う昨今ですが、これを調べるためには合計5000円分ちょっと、書籍を購入しなければならなくなりそうです。
果たして買うのでしょうか。
いや、全文英語だしな…買って読まなくなった本、まだ10冊くらいあるしな…。
まあ日常会話か、もしくはこんなブログのネタにでもなれば良いかと、Amazonの購入ページを閉じて緩く生きる日々です。
このブログも、少しずつまた更新していこうと思います。
、
昔から、活字を読むのが好きだった。
きっかけは小学生の頃、弟の運動会で「きっと暇だろうから」と親に手渡された「ズッコケ三人組」の文庫本からだった。
それから今日に至るまで、たくさんの本を読んできた。
小説やエッセイ、実用書などの書籍のみならず、説明書だろうと何であろうと読める文章は可能な限り読み尽くす生活が10年ほど続いた。
小説家になりたかった時期もあった。
ワクワクしながら浸っていた世界を、いつか自分で作り出してみたいと思っていた。
小学校高学年から中学生くらいまでの話だ。
しかしそれから数学が好きになったり、やはり教師になりたいのではないのかと思考を繰り返したりしている内に、その夢はいつしか音も立てずに消えていってしまった。
ブログを初めて書いたのは中学2年生の時のことだ。
友達に進められてamebaブログに登録をした。
その頃のブログは本当に酷いものだったが、自分で文章を書くのは楽しいものだった。
このブログも、昨年5月に「黒」というタイトルの文章を投稿して1年が経った。
今回の投稿を含めて、37本の投稿をした。
月に3本くらいのゆっくりとしたペースで投稿をし、その中で自分が許せる、何となくこれは人に読んでもらうようお願いしても大丈夫かな、と満足するものは5本くらいしかない気もする。
下書きの欄には実はまだ3本くらい書きかけのブログが残っているし、パソコンのメモアプリにも10本近いネタがストックしてある。
1年間書き続けてみて、本当に楽しかった。
「何だこれは、全然書けないぞ…。」と、趣味で書いてるのに何故か頭を悩ませることもしばしばあったし、1年ぽっち書いていて果たして文章を書くのが上手になったのか、と考えるとかなり微妙な気もするけれど、楽しかった。
アクセス数を結構頻繁に見たりするのだけれど、意外と見てくれている人がいたようで、何だかその数字を追うのも楽しかった。
これが属に言う、「応援が力になる」というやつか…などと思ったりもした。
いや、好意を持って見てくれる人がどれくらいいるのか、実際のところは分からないけれど。
ところで先日Twitterの方にも書いたのですが、しばらくこのブログの更新が止まりそうです。
理由は結構くだらないもので、来月か再来月くらいには公開出来たらと思います。
こんな駄文を最後に投稿を止めるのも非常に心苦しいので、いつかまた書きに戻ってこようと思います。
その時はまた、お時間よろしければ読んでやってください。
1年間、ありがとうございました。
交差
我々は日々、スマートフォンを開いて様々な情報を目にする。
SNS、匿名掲示板、まとめサイト、ニュースサイト、etc...
多様なWebメディアを通して、人々の日常から社会的時事ネタまでその内容は多岐に渡っている。
おそらく文化もそうだ。暗黙の了解と置き換えてもいい。
例えば我々アイドルオタク達がTwitterを利用するにあたって、一部のユーザー間でこんな暗黙の了解があったりする。
「推しメンへのリプライには『いいね』をつけてはいけない。」
「フォローは一言添えてから。」
是非はともかく、それらはTwitterと言うSNSに設定されたルールではなく、ごく一部の界隈に何となく浸透した、あくまでマナーと呼ぶ範疇のものになるだろう。
ところで昔こんなことがあった。
場面は深夜1時の高田馬場、今は無い、僕の勤めていたバーでの話だ。
その日は客足も思ったように奮わず、僕は暇な一日を店内で過ごしていた。
たまにカクテルレシピを調べ、練習をして少し味見するのを繰り返す、そんな日だった。
営業時間は2時まで、今日はそろそろ店じまいかしら、と思っていたところに来客があった。
学生の団体が、3、4、5、6…7人?
こんな時間に大所帯だなと思っていたが、その内3人くらいは何度か店に来ている、常連の子達だった。
「どうしたのこんな人数で、珍しいね。」と話しかけると、いつも来ている男の子が酔っぱらった様子でカウンターに寄ってきた。
「違うんですよはらさ〜ん…。」
おや?
「居酒屋で飲んでたら隣のテーブルの奴らに絡まれたんですよ〜〜。」
おやおや?
「もしかして…」
「そうです、あいつらですよ〜〜。」
残りの4人の男女は確かに、見た事が無い子達だった。
聞いてみると、どうやら大学も違うらしい。
お酒を飲んでいたら楽しくなって、隣の卓で騒ぐ大学生達に絡んでしまったそうだ。
女の子二人が非常に申し訳なさそうにしている。
別に良い、お客さんはいないよりも、いた方がいい。
さっさとオーダーを取り、7人分の飲み物を用意する。
何となくほんわかした空気で始まったと思いきや、どうも様子がおかしい。
絡んできたグループの男の子の片方が、常連の男の子に絡みだした。
一触即発、対応を間違えた瞬間に喧嘩になってしまいそうだ。
そこで常連の男の子が提案をした。
「わかった、そしたらもう、一緒に乾杯をしよう。」
一緒にお酒を飲み交わせば俺たちは仲間だ、と想いを込めての行動に、少しだけ感動した。
何だお前、ちょっと大人じゃないか。
「はらさん、ロンリコ3つください。」
3つ?
「はらさんの分もです。一緒に乾杯しましょう。」
アルコール度数75%を誇るラムを一緒に飲ませてくれるなんて…何ていらん気遣いなんだ。
しかし酔っぱらった後輩の気遣いを無下にするわけにもいかず、琥珀色の液体を注いだショットグラスを3つ、テーブルに運ぶ。
「それじゃ我々の出会いに、乾杯。」
常連の男の子の合図と共に、我々2人はグラスの中身を飲み干した。
しかし招かれた(招かれざる?)客人たる彼は、掲げたグラスを口にあてることなくテーブルに置いた。
「俺は、飲まねえ。」
何やと。そうか、彼の心遣いを、君は受け取らないって言うんだな。
「そうか、じゃあ俺が飲むよ。」と一言かけて、僕は彼のグラスを手に取り、同じように飲み干した。
それからが大変だった。
常連の男の子は一切喧嘩を売るような真似はしていないのに、気付くと彼らはお互いの胸ぐらを掴み合っていた。
テーブルの上のグラスをカウンターに避難させる。
連れ立っていた女の子達が、彼らを引き離す。
常連の子もたまらず「はらさん、俺ここで喧嘩してもいいですか。」などと酔った勢いで吐き捨てている。
ダメだ、それは困る。表でやってくれ。と言うかお前、喧嘩とかしたことないだろ。
「君たちさ、もうお代とかいいから今日は帰ってもらってもいいかな?今日はうちの子も悪かったからさ。」と新規の4人組に声を掛けると、彼らは荷物をそそくさとまとめて出ていった。
やっと終わった…と安心したのも束の間、それまで血気盛んな男の子をたしなめていた女の子が突然出る間際に僕に一言、「早稲田って本当にしょうもないんですね。」と捨て台詞を吐いて出ていった。
僕は悲しくなりつつも、そのまま店の片付けをし、もう既に酩酊しかけている男の子にお水を出す。
「はらさん俺はさあ、何であんな…俺の酒も飲めないやつと…。」
カウンターに突っ伏すのはいいけれど、灰皿に唾を吐くのはやめた方がいいぞって、ああ…。
彼の顔面は、自身の吹きかけた息によって舞い上がった灰で真っ黒になっていた。
「取りあえず、トイレでそれ綺麗にしてきなよ。」
その日は、閉店時間を過ぎるまで、何となく常連の子達とまったり過ごして終わった。
彼は、彼なりに精一杯の気遣いで、絡んできた子達を受け入れようとしていただけなのだ。
自分たちの精神に乗っ取って、彼らを仲間に引き入れようと、せめて手打ちにしようと努力した。
それを受け入れられなかったことが悲しかったのだなと思う。
早稲田はしょうもない、それでいいのだ。
俺たちはそれまで何があっても、一緒に楽しくお酒が飲めればそれでいい。
だからだろうか、最後の一言に僕も少し悲しくなってしまった。
溢れ返った情報の中で、それを取捨選択していくことは確かに大切だ。
しかし、新しい世界に飛び込みたいと少しでも思うのであれば、そこに既に浸透している暗黙のルールを一度受け入れてみることも、時には必要なのかもしれない。
少なくとも僕は、それを大切にしていきたいと思う。
水泡に帰す
言葉が浮かばない。
元々このブログを書くと決めた時に書きたいと思ったテーマが10個くらいあって、そこに日々気になったことや、何かのきっかけで思い出した昔話を織り交ぜながらそれらを放出していた。
全くもって、書きたい内容を消化しきったわけでも、何もない退屈な日々を過ごし続けているわけでもない。
ただ、言葉が浮かばない。
人と話す時に、話の中に浮かんだ物事を別の言葉や表現で置き換えることや、それをする人がとても好きなのだけれど、それすらさっぱり浮かばなくなってしまった。
今はただ、勢いや流れに、考えもせず単語を乗せているだけ。
自分の中にある思考の渦に、潜ることが出来ない。
入り口を見つけても、水面の浅いところに顔をほんの少し浸して、それを眺めることしか出来ない。
潜ろうと試みても、底から立ち上る大量の泡に飲み込まれて、押し戻されてしまう。
焦りや不安はない。
今まで通りお笑いや、映画や、本などを取り込み続けていれば、元に戻るだろうと思う。
しばらく、ほんの少しだけ、お休みの時間は続きそうだ。
言葉
自分のことを、かなり後ろ向きな性格だと思う。
何にしても基本的に悪い方向にまず考えた上でしか向き合うことが出来ないからだ。
利益よりもリスクを気にするし、最悪の展開をまず考えてからでないと落ち着かない。
そんなに器用な人間でないので、それでも失敗だらけなんだけど。
口にはあまり出さない。場の空気が悪くなるから。
悶々と溜め込むことで、また少しずつ気持ちが落ち込んでいく。
そんな中で、僕に向けてこんな言葉を吐いた女の子がいた。
「はらくんって頭ハッピー野郎だよね。」
そうだろうか、と浮かぶ疑問と共に、少しだけくすぐったい感じがしたのは本当だ。
何故かちょっぴり嬉しかった。
ある日の僕は、気の強そうな女性と話していた。
テーマは、「致命的なドジッ子」についてだ。
「致命的なドジッ子」は、思ってもみないタイミングで致命的なミスをやらかす。
でも、と彼女は言った。
「そういう人って、何だか愛せません?」
「それは、『愛せる』と言うことによって、相手を受容しているだけなのでは。」
口に出しながら、自分で納得してしまった。
なるほどな。
またある日、僕はシンクに溜め込んだお酢の中に、大量のりんごを投入して洗っていた。
これが1時間もすれば、全てジュースになる。そういう仕事をしていた。
僕は野菜や果物を洗いながら、全国の農家を回ってお酒を飲むのが趣味、と言う年上の男の子と話をしていた。
お互い、別々の組織に所属し後輩の面倒を見つつ、そこで働いていた。
「何かもう、失敗しちゃうのって仕方ないと思うんですよね。」
テーマは後輩の話。切り出したのは僕。
「分かる、最悪こっちが何とかすればいいもんね。」
彼は非常に優しい人だった。優しすぎて、付き合った女性に尽く浮気をされてしまうのが悩みだったらしい。
「『まあ、しょうがないか』って思えば落ち着くし、怒っても仕方ないですからね。」
僕らはジュースを作り終えて、地下にある野菜室に少し足りなかった分の野菜を取りに降りた。
そこで上から店長の声が降ってきた。
「ちょっとー!!」
「はーい!?」
「これレモン入れたー!?」
「あっ」
ジュースに防腐剤代わりにレモンの果汁を入れるのはもう一方の彼の仕事で、そして彼はいつもそれを入れ忘れてしまうのだった。
「す、すみませーん!!!!」
「あんたもうこれいい加減にしてよー!!」
店長が怒っている。きっと新婚にも関わらず家に帰るのがいつも遅いことも災いしているのだろう。
彼は、とぼとぼと階段を上がっていった。
その後ろ姿を見て、そっと「まあ、しょうがないか。」と呟いた。
僕はね、言霊ってあると思うんですよ。
例えば、好きでも嫌いでもないものを「嫌い」って言ってたら、本当に嫌いになってしまうこともあると思う。
そういう言葉って何故か周りに伝染しやすくて、最近何だか「本当に君自身がそれを嫌っているの?」と聞きたくなってしまうことが多い。
僕は割と怒る事が苦手なタイプなので、何か嫌な事があって怒っても、「これは一時的なものなんじゃないか」と思うと何だかもう一瞬で引っ込んでしまうんですよ、これが。
だってその怒りがきっかけで、嫌いでもないものをわざわざ嫌いになって、それを見る機会を減らして、それを楽しむチャンスを失っちゃったら勿体ないじゃないですか。
少なくとも、僕はそう思う。
このブログ、多分一度の更新につき大体50人くらいの人が見てくれてるんだろうと(多分)思うんだけど、その内5人くらいでいいから、明日から嫌なことがあっても「でも何だか、そういうところも愛せるよね」とか「しょうがないなあ笑」なんて言って、緩やかに切り抜けてくれたら、ほんの少しだけ世界が優しくなるのかもな、と思います。
それでもやっぱりどうにも出来なかったら、僕で良ければお酒でも飲みに行きましょう。
お誘いお待ちしております。